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私の好きなマンガ

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす

 書店に勤めていたころ、お客様から「おすすめの漫画はありますか?」と聞かれることがあった。年配の方や、普段漫画を読まなそうな大人の方が多い。どんなジャンルが好きなのかとか、自分で読むのか誰かにプレゼントするのかとか、いろいろお話を伺ってレコメンドするのだが、とにかく困ったら『よつばと!』を薦めることにしていた。実際、これだけ万人に安心してお薦めできるマンガも珍しいと思う。
 連載開始から18年だというが、作品の中の時間はほとんど進んでいない。主人公のよつばはずっと子供のままである。たぶん女の子だと思うが、性別もはっきりとは描かれてはいない。「とーちゃん」は出てくるが、実の父親ではない。どこか外国で生まれたらしいことはわかるが、引き取るに至った経緯は不明である。マンガだからディテールがなくても成り立つのだが、とにかく主人公とそのまわりで起きるありふれた出来事を仔細に描いている。
 「子供は自然」と言うとき、私はいつもこの『よつばと!』を思い出している。作品の舞台は、別に自然豊かな場所ではない。埼玉の郊外、おそらくは入間とか川越あたりの住宅街である。しかし、にもかかわらず、よつばは自然そのものという気がする。きわめて子供らしいのである。はじめて飲むバナナジュースの味に感激したり、つるつるした丸い石を宝石みたいにキラキラ眺めたり、何もかもが新鮮で、何に対しても驚き、いつも楽しそうにしている。子供というのは、本来こういうものではないか。
 もちろん、現実の子育てはそんな甘いものじゃない。こんなマンガは都合のいいとこ取りだという声が聞こえてきそうである。たしかに、それはその通りである。実際に子供を抱えている親御さんを前にしては、私も反論できない。だが、子育てが大変というのは多くの場合、大人の都合に子供を付き合わせているだけかもしれないのである。
 印象的な場面がある。雷がゴロゴロと鳴り出して、よつばが表に飛び出していく。「雨が降るよ」とまわりの大人は声を掛けるが、本人は気にしない。すると夕立だろうか、あっという間に土砂降りになり、よつばはズブ濡れになってしまう。呆気に取られている周囲をよそに、よつばは満面の笑顔である。
 考えてみれば、「雨雨降れ降れ母さんが」ではないが、自分も子供のころは、雨が降るというだけでワクワクしたものだった。その気持ちをどこに置き忘れてしまったのだろう。雨は雨である。それを鬱陶しいだの面倒だのと言っているのは、全部人間の都合である。
 たしかに現実の子育ては、楽しいことばかりではない。けれど、われわれは子供から子供らしさを奪い、可及的速やかに大人になるよう鋳型に嵌めようとしていないだろうか。このマンガが長い間読み継がれているのは、子供というのが本来どういう存在で、われわれ大人が失くしてしまった何かを、よつばが思い出させてくれるからではないだろうか。まだ読んでいないという方は、ぜひ一度手に取ってほしい。
(二〇二一年二月)


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