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【加盟店レジェンド列伝③】波多野一夫さん(養老乃瀧尾山台店)

いらっしゃいませ!

全国津々浦々の加盟店にいらっしゃる"この道ウン十年"のオーナーさん達の「人となり」をご紹介。第3回目は東京・世田谷区から。養老乃瀧尾山台店のオーナー・波多野一夫さんにお話をうかがいます。

■サラリーマンになろうという気持ちはなかったね

 東急大井町線・尾山台駅からほど近く。商店街の一角にある養老乃瀧尾山台店は、2022年8月に創業55年を迎えた加盟店です。

戦後間もなく作ったお店。商店街の風景は当時からそれほど変わっていないのだとか

 オーナーの波多野一夫さんは1948年に山口県で生まれ、小学4年生の時、家族でこの地にやって来ました。

養老乃瀧尾山台店のオーナー・波多野一夫さん。後ろにあるのは、岐阜県養老郡養老町が作ったポスター

「まず父親が乾物店を始め、その後1967年に母親が養老乃瀧を始めました。当時、私は大学生。『学費を払う代わりに店を手伝え』と言われ、アルバイトを始めました。楽しかったですよ。お酒が好きで、人と会って話すことも好きだったから」

 当時の加盟店は家族経営が主流。波多野さんにとっても、仕事は「事業」というより「家業」でした。

「当時、この近くに『飯場村』といって、出稼ぎの人達の簡易宿泊所があって、そこの人達がよく飲みに来ていてね。みんな荒っぽくて、酔って喧嘩なんていつものこと。僕は空手部に入っていて、決して強くはなかったけれど、そういうのは嫌いじゃなかったかな(笑)。みんなエネルギーがあり余っていたよね」

 そんな波多野さんは大学を出て、そのまま家業を継ぐことになりました。

「両親が一生懸命働いてるのを見てきて、商売は面白いと思っていた。サラリーマンになろうという気持ちはなかったね」

■事業は広げるのは簡単。失敗するのは縮小する時

 その後は店長としてお店を切り盛りするように。養老乃瀧が1970年代から80年代にかけて店舗数を伸ばす中、尾山台に加えて2店舗を出します。

「当時はまだ若くて欲もあったからね。まず養老乃瀧の等々力店を出して、あとは『パブヨーロー』というスナックに近い業態もやっていたんですよ。だから一時期は3店舗を同時に営んでいました」

 その後は時代の流れもあって2店舗を閉店。今は尾山台店に専念しています。

「1960年代から80年代は勢いもお金もあった。そうなると『もっとできるんじゃないか』と欲をかいてしまう。うちの父がよく口を酸っぱくして『事業は広げるのは簡単。縮小する時に失敗するんだ』と言っていました。身の丈以上のことをしてはいけないんですよ」

■養老乃瀧でなかったら、ここまで続けてこれなかった

 現在のお客様は40代から80代の常連さんが中心。開店当時から50年以上通う方もいらっしゃるのだとか。

「その方は今84歳でほぼ毎日、必ず17時にいらっしゃいます。晩ご飯の前に一杯という感じですね。常連さんはもちろん他にもいらして、17時になるとカウンター7席は埋まり、18時半ごろにみんな引く。そして20時ごろからまたお客さんが増えてきますね」

 常連さんとスタッフに愛され続ける波多野さんは、55年をこう振り返ります。

「養老乃瀧のおかげで何不自由なく食わせてもらい、ここまで来れました。先日、商店街主催の運動会があり、すごく楽しくてね。これって何か懐かしいな、と感じて思い出したのが、50年前の養老本社の運動会。『従業員は皆家族』という木下会長の言葉、そして本社の厳しい指導の中にある温かさを思い出していました。

養老乃瀧でなかったら、ここまで続けてこれなかった。先のことはわからないけれど、常連さんとスタッフが元気で、自分の体が動くうちは頑張りますよ」

従業員1人とアルバイト3人が日替わりで波多野さんをサポート。こちらはアルバイト歴15年の小林さん。「 働き始めた時は下の子が2歳。当時は主人の帰りが遅くなると家を出られなかったのですが、そのころから一度も怒られたことがありません。今もとても大事にされていて本当に温かい方です。店長、これぐらいでいいですか(笑)?」

■だらしない飲み方はしない。同業にバカにされるからね

 そんな波多野さんですが、今も年間365日、お酒を決して欠かしません。

「 矢満田代表が銀行に勤めていたころ、よく同僚の方を連れて来てくださったんです。当時はそんな方だと知らなくてね。銀行をお辞めになる時『実は僕、今後…』と告白されて、本当にびっくりでした」

「ラストオーダーを取ってひと段落してから、軽く飲み出しちゃう。それで、店を閉めてからみんなで一杯。僕は家でテレビを見ながら飲んでいるとすぐ眠くなっちゃう。家では350mlの缶ビールを持て余すぐらい。それよりも、人と話しながら飲むのが楽しい。お酒は会話を楽しむためのもの。親しい人と飲みながら、あれこれウンチクを垂れてね(笑)。

 大事なのが、だらしない飲み方をしないこと。以前、飲み過ぎてぐでんぐでんになるスタッフがいたんですが、それはダメ。『養老乃瀧の看板を背負って飲みに行って、何やってるんだ。みっともないとこ見せるな』と怒っていました。同業にバカにされるからね」

 どうやらそのあたりの骨太な心持ちが、波多野さんが55年にわたってお店を続けてこられた理由では? お酒と上手くつき合いつつ、これからもお元気で!

(終わり)


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