「月刊視覚障害11月号」小森美恵子特別企画第1回

・炎の音を告げつつ落葉燃ゆれども血潮静めて生きねばならぬ
 小森美恵子遺歌集『炎のおと』

月刊 『視覚障害』 2023年11月号(第426号)に

「見えないからこそ詠める歌を ―全盲の歌人 小森美恵子―
 第1回 炎の歌―視覚を失った小森美恵子が詠み続けたもの」

を寄稿しました。
17歳で失明し、その後全盲を詠むことで茂吉や晶子に挑んだ小森さんの作品を紹介しています。「月刊視覚障害」、お手に取っていただき小森さんの短歌を知っていただけたら嬉しいです。
ここでは「月刊視覚障害」で紹介できなかった小森さんの歌を何首か紹介します。

・リズミカルな歩道の足音に唇かみて牽かるる吾ははや後れたり
 小森美恵子『炎のおと』

視覚障碍者の立場から感じる微妙な感覚を描いた一首です。「リズミカルな歩道の足音」とは、周囲の人々の軽やかな歩み。そんな情景に感じるのは「唇をかんで」「はや後れ」てしまう自身の力みや遅れです。微妙な感情や孤立感を率直に綴り、人と人との関係性を想像させます。一方で、社会的な課題も垣間見せてくれるように思います。

・気張りきし盲の吾が哀れなり山鳩にぶく鳴き居れば更に

同じく「孤独の世界」からの一首です。作者の日常に潜む緊張や不安が、山鳩のゆっくりとした鳴き声と対比されて鮮明に描かれています。この連作の中には《親しき街にも盲ひし今は叛かれむぶつかるごとくクラクションがせまる》という歌もあり、住み慣れた街でも安心して過ごせていない現実が伝わってきます。
晴眼者であれば気を張る必要などまるでないのどかな状況なのでしょう。山鳩の穏やかな声が一時的な安堵や解放感をもたらしながら、小森さんの「哀れ」という自認を際立たせます。

・罪に得し盲ならぬに何故ぞ戸口調査が来ればおびえき

上の句「罪に得し盲ならぬに何故ぞ」に描かれているのは深い自問と負の感情。そして下の句では「戸口調査が来ればおびえき」と具体的な状況を示し、作者の感じている社会的プレッシャーと不安、自虐的な感覚を伝えます。

この歌は昭和34年に刊行された小森さんの第一歌集『冬の花』の中の一首です。『冬の花』は小森さんの作品を高く評価した岐阜県の盲学校文芸クラブによって刊行されました。刊行に携わった歌人であり岐阜県立盲学校教諭でもあった赤座憲久は小森さんの歌を高く評価し「小森短歌の独創性は自虐的な要素に絡むところにあります」と評しました。障碍を受け入れ、表現の可能性を模索したからこそできる表現なのだと私は読みました。


・白き蝶が汝れにとまると言ふ時に母はこよなくやさしき声す

母親との特別な瞬間を描いた一首です。
「白き蝶が汝れにとまると云ふ時に」と、自分では見ることができない故に母親の言葉を通じて美しい情景を感じ取っています。母子間の特別な絆を美しく描き出しています。「こよなくやさしき声」はかなり大掴みな言葉。概念としての母の優しさや温かさも表したかったのかもしれません。


・恋文書く妹の前に盲ゐて妬まぬこの夜の吾を信じたし

強い自己認識と誇りを示している一首です。恋を謳歌する妹と恋を秘めた自分。下の句では羨望や嫉妬から自由になりたい、妬み嫉みを感じない強い自分の誠実さと誇りを信じたい、と記しています。それは簡単なことではありません。我を信じられるだろうか、という反語的なニュアンスもあるのでしょう。

小森さんは生涯独身で過ごされました。短歌を残すことに心血を注がれ、作品という形で自分を遺されたのだと私は想像しているのですが、歌集には葛藤する相聞歌があります。


・日点の所在を知りてたとうれば恋するごとく日々ときめけり

・たしかにも「万葉集」とありしなりおよび(指)ふるえてふたたび読めば

最後は日本点字図書館第一回読書感想文コンクールの中に記された短歌。日点(日本点字図書館)への想いを詠んでいます。一首目は日点の存在を知り、「恋するごとく」心をときめかせています。短歌に生涯を捧げた小森さんです。自分で本を読める可能性を知った瞬間の喜びは想像に余ります。自分の心の動きを情熱的な言葉で描いています。

二首目は「万葉集」と打たれた点字に触れた感動が、ふるえる指を通じて感じられる歌。「ふたたび読めば」とあるので点字を読み直したのでしょう。感動の震えが伝わってきます。


小森さんの名前や短歌は、現在の歌壇でも視覚障がいの分野でもほとんど知られていません。残念だなぁと思っています。そんな事を話していたら「月刊視覚障害」様が連続企画を組んでくださりました。
月刊視覚障害2023年12月号では小森さんが所属していた「水甕」の春日真木子先生、春日いづみ先生に小森さんの思い出をインタビューしてきます。

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