弁護士視点からの「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」解説〜第7話

全16話のシーズン1エピソードのうち第7話第8話ソドク洞物語は、弁護士業務の在り方を描いているという点では、第12話と双璧だと個人的に考えています。

冒頭住民説明会のシーン、シリアスな場面なのにコミカルな村長のキャラがいいんですよね。ものすごい実力のある俳優でないとこうはなりませんよね。後の場面で「自分で言うのも何ですが、私は割と持ってます」と言うシーンも、自分は韓国語を解さないので字幕で理解しているのに、声と言葉がニュアンスごとそのまま心に届くような感覚があります。コメディを演じられる役者さんは偉大です。

「司法部は行政部に及び腰になりやすい」「専門的なことならなおのこと行政の決定を覆すのは負担が大きいだろう」とミョンシク。この点も日本と同じようですね。法制度のみならず司法文化まで似ているところが興味深いなと思うのです。

クライアントから相談を聞いて概要を把握する。法分野以外の専門家からヒアリングして専門知識を補充し、それと自分たちの法的知見を合わせて見通しを立てる。その見通しに基づき、法的手段を採ることの適否をクライアントに伝える。弁護士の相談業務プロセスを端折らずに、しかしTVドラマならではの演出を交えてテンポ良く見せてくれます。
ただし、分刻みで毎日稼働している大手法律事務所の弁護士が今から現地に行きましょうと言われて、実際に行けることはないでしょう。相談段階とはいえ、彼らの時間を拘束すればタイムチャージ(TC)が発生するんじゃないでしょうか。まあ村長はお金持ちなので、気にしないかもしれません。

村長たちがハンバダ・メンバーに村を案内している段階で、2016年というキーワードが再度登場しています。自然な台詞回しが多い本作の中で、あえて不自然な感じで。伏線の提示があからさまではないけど、気付くか気付かないかの微妙なラインで少し分かりやすく作られてるのも、自分が本作で好きなところです。

第6話はコミカルな芝居を最小限にした、お涙頂戴の王道を行くストーリーでした。第7話もいちど破壊されたら2度と回復できないコミュニティの存亡を賭けたケースなのに、前話と打って変わって終始テンポ良くコミカルとシリアスを絶妙な塩梅で進んで行きます。本作制作陣はどうしてこんな変幻自在の創作が出来るのでしょうか。

昼夜を分かたず大量の資料を弁護士たちが手分けして検討するシーン、これもリアルですね。法律を当てはめて何らかの主張なり結論なりを出すのは最終プロセスであって、その前に資料を読み込み、事実と証拠と根拠を探す作業こそが弁護士業務の大部分だと言っても過言ではありません。それを本作お得意の映像技術で軽やかに見せてくれています。

グラミがヨンウに、自分の気持ちを知るためにジュノの体に触れてみることを提案します。
グラミ「よく分からないなら触ってみたら?」
ミンシク「そんなことしたら犯罪だ」
ヨンウ「そうよ許可なく触っちゃダメ」
ラブコメだけど、ヒロインでも、同意なく異性或いは他者の体に触れることは許されない。本作がグローバル展開を見据えた、現代仕様の韓国ドラマであることを象徴するシーンだと思いました。

何故テ・スミ弁護士のことを調べているのかと父グァンホから問われ、ヨンウはこう答えます。
「担当事件の相手弁護士です。相手方ですが弁論する姿がカッコよかったんです。私もああなりたいと思いました」
相手方代理人の仕事ぶりや姿勢を見て、自分もそうありたい或いはそんなことが出来るようになりたいと思ったことは枚挙にいとまがありません。弁護士の対戦相手に対する感覚は、プロスポーツ選手に近いのではないかと想像します。技術を生業とする職種で、かつ相手の技量は直接対峙したときに最もよく分かるため、素晴らしい仕事に対面したときは自ずとリスペクトの気持ちが湧いてきます。

「効力停止の決定が遅いですね」
「時間稼ぎをして本案判決で棄却する気だ。それほど勝つ見込みがない訴訟だと思われている」
効力停止という言葉は日本法にはありませんが、本件で住民たちが求めているのは工事の差し止めなので、日本法で言うところの仮処分のことだと思います。工事差し止めの仮処分決定を得れば、一時的に工事は止まります。
仮処分手続はその名のとおり仮の処分です。訴訟は時間がかかるものなので結論が出るまで待っていられないケースの時に、訴訟が決着するまでの間一時的に現状を保全していおく仮処分や仮差押のことを保全手続と言います。これら仮の手続に対して、本体である訴訟のことを本案と呼ぶのです。
ミョンシクは、本件保全手続は判断が難しい行政事件なので、裁判所は仮処分の判断を延ばして先に本案判決を出すことで終わらせてしまおうとしているんだと読んでいるのです。
「判事たちも頭が痛いでしょうね。幸福路がハムン新都市の地価を決めるので、取り消しには容易に応じられない」
意外に思われるかもしれませんが、裁判官たちも自分たちが下す判決の社会的影響については考えます。特に大型公共事業の工事差し止めとなると、その社会的経済的影響力が甚大なものとなるから、おいそれとは認容の判断は出来ません。だからテ・スミ弁護士も先の弁論で、その辺りを強調して裁判官にアピールしてましたよね。

テサンの洗練されたプレゼン立証戦略に対し、ミョンシクはむしろ真逆を行く方針を提案します。
「行政が大手事務所を使い派手にアピールするのに対し、我々は住民たちの切実な願いを愚直に伝えるんだ」
またもやミョンシクの非凡さを示す場面です。その前に違法性が必要だと言っているように、法廷で自分たちの主張を通すには法的根拠が不可欠です。しかしその法的根拠を支える事実とその判断が妥当だと確信する裁判官たちの価値判断も必要です。そこが勝負所だと、ミョンシクは本件の筋を読んだのです。
「現場検証する名分はないが考えてみよう」
ここもまた如何にも弁護士的な思考です。法の建前的な思考では、法に定められた現場検証の要件を満たしているから弁護士はそれを提案するはずです。それが本来の在り方です。しかし逆に思考することもあります。クライアントの利益を実現するためには裁判官を現地に見せる必要がある、現地を見せるためには現場検証が使える、とすれば現場検証が必要である理屈は後付けで考えよう。これもまた法活用のプロである弁護士の思考のひとつなのです。

やはり洗練されたプレゼン動画を駆使するテ・スミの主張を、ヨンウがアドリブで文書証拠(書証)によって崩します。本エピソードでは、1度見たものは全て映像として記憶しているヨンウの特殊能力(映像記憶能力とかカメラアイと呼ばれます)によって気付いたことになっています。
しかしこれは実は、僕ら凡百の弁護士でも同じことがあります。法的主張への乗せ方や法廷でのやり取りをシミュレーションしながら大量の資料を繰り返し読む作業をしていると、期日当日は全ての資料が頭に入っている状態になり、それと矛盾した主張が出てきた瞬間に気付く特殊な状態になっていることがあるのです。
この場面には元となる実際のエピソードがあり、その経験を弁護士から聞いた脚本家がヨンウは自閉症者であるという設定と掛け合わせることで、このストーリーを書いたのではないかなと想像しました。ともあれ、ヨンウの映像記憶能力をCGを使って映像化する場面は毎回素晴らしいなと思います。なお、映像記憶能力を持つ自閉症者の思考をCGで映像化した作品として「Temple Grandhin」という傑作TV映画があります。テンプル・グランディン博士本人が、全映像全場面を監修している作品です。現在日本ではU-NEXTで視聴が可能です。


ちゃんと挫折したいです
挫折すべきなら私1人でちゃんと挫折したいです

どうしてこんな台詞を思いつくのでしょうか。法や弁護士実務が関連する場面なら何となく元ネタが想像つくのですが、それ以外の部分では自分にはミラクルとしか思えないセリフが次々と登場します。本作品にどうしようもなく魅了される所以です。

第8話に続きます。


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