【愛しの女子たちへ】『北欧との出会い』 ④「円安って損」

私が初めて海外取材に行った1970年は1ドル360円だったことを以前書きました。翌々年、通貨は固定相場から変動制に変わります。有名なニクソンショックです。諸外国はおろか自国の議会にも相談せず、ニクソン大統領が金とドルの交換停止を突如宣言したのです。ちょっと難しい話になりますが、第二次世界大戦の遠因は各国が輸出増を狙って通貨安競争に走ったことですが、その反省を受けて、1944年、金ドル本位制の固定相場制度を中核とする通貨体制(ブレトンウッズ体制)が発足しました。しかし、アメリカによる西側諸国への援助や軍事支援の増大と日本や欧州の復興で、50年代末からドルが流出し、米国の金の保有量は急減しました。
そこでニクソンの宣言となるのですが、以降、アメリカは金と交換する義務がなくなったので経常赤字も財政赤字もたれ流しながらドルを増刷しつづけてきたわけです。1971年8月16日の朝日新聞には「ドル時代の終幕」という見出しが躍っていますが、それでもアメリカは基軸通貨国(※1)であるかのように振る舞い続けてきました。ドルと交換できるなどの金保有量がないにも関わらずそれができたのは、圧倒的な軍事力で「世界の警察」の役割を果たしてきたことと、最重要商品の石油の売買決済をドルでやってきたことがあるからでしょう。
ドルに対抗してユーロができ、徐々にユーロ建てでの輸出入が増えてきた。アメリカは面白くありません。イラクが大量破壊兵器を隠しもっているという理由でアメリカはイラクを攻撃(※2)しましたが、(後でそんなものはなかったことが判明しましたよね)、その原因は通貨にあると言われています。イラクのサダム・フセイン大統領は2000年11月に国連の管理下にあった石油輸出代金収入による人道物資基金をユーロ建てにおきかえたんです。もちろんアナン事務総長(※3)の承認を得てのことですが。
当時のイラクの石油輸出はフランスとロシアの石油会社が請け負っていたのですが、こんなことを許すとサウジアラビアやイラン、ベネズエラなどまでユーロ建てになってしまう。それを恐れたブッシュが、そうした国を牽制するためにもフセインをたたいたわけです。世界の基軸通貨であり続けることはアメリカにとって最重要事項で、だからこそアメリカは圧倒的なドル建ての外貨準備を持つ日本を同盟国として必要だと思っているんじゃないでしょうか。実際、1997年、時の橋本総理が「米国債を売りたいという誘惑にかられた」(※4)と発言しただけで、ニューヨークの株式市場が大暴落して大問題になったことがありましたよね。
外貨準備は為替レートの安定を確保するために活用されるもので、ドルが急落し円が急上昇する局面では外貨市場でドルを買い入れ、ドル安進行を回避する、そのために蓄積しておくのが外貨準備です。ところが、ドルを売るのは制限されていて、ドルを買う介入が多いので、例えば竹中金融大臣の時など一年半の間に47兆円も外貨準備残高がドルで増加しています。つまり理解不可能な巨額の資金がアメリカに提供されたのと同じだといえるわけです。
私は名前が円だからというわけではありませんが、自国の通貨である円が強いことはいいことだと原則考えていて、常にその考えのもと、国会の予算委員会などで質問してきたのですが、それもこれも初めて行った海外で円の弱さを痛感したからかもしれません。
今回はここまで。
次回は「北欧との出会い」⑤「イケアの家具」に続きます。


<脚注>
※1 基軸通貨国
国際為替市場で中心に扱われる通貨のことを基軸通貨(キーカレンシー)と言う。
基軸通貨としての機能を果たすには以下の条件が必要とされている。
・軍事的に指導的立場にあること(戦争によって国家が消滅、壊滅的打撃を受けない)
・発行国が多様な物産を産出していること(いつでも望む財と交換できること)
・通貨価値が安定していること
・高度に発達した為替市場と金融・資本市場を持つこと
・対外取引が容易なこと
歴史的には、イギリスポンドやアメリカ合衆国ドルが基軸通貨と呼ばれてきた。
※2 第2次湾岸戦争(イラク戦争)
2003年3月20日アメリカ合衆国が主体となり、イギリス、オーストラリアに、工兵部隊を派遣したポーランドなどが加わる有志連合が、イラク武装解除問題の進展義務違反を理由として『イラクの自由作戦』の名の下にイラクに侵攻したことで始まった戦争。
正規軍同士の戦闘は2003年中に終了し、同年5月にジョージ・W・ブッシュ米大統領が「大規模戦闘終結宣言」を出したが、イラク国内での治安の悪化が問題となりイラク国内での戦闘は続行した。2010年8月31日にバラク・オバマ米大統領によって改めて「戦闘終結宣言」と『イラクの自由作戦』の終了が宣言され、翌日から米軍撤退後のイラク単独での治安維持に向けた『新しい夜明け作戦』が始まった。そして2011年12月14日、米軍の完全撤収によってオバマ大統領がイラク戦争の終結を正式に宣言した。
※3 アナン事務総長
コフィー・アッタ・アナン(Kofi Atta Annan、1938年4月8日生)
第7代国際連合事務総長(1997年1月-2006年12月)。ガーナ共和国アシャンティ州クマシ出身。
※4 橋本総理「米国債を売りたいという誘惑にかられた」
1997年6月24日の朝日新聞夕刊は、その1面で「NY株敏感、192ドル急落」報道。
以下のような橋本龍太郎首相(当時)が前日コロンビア大学で行った講演の中での質疑応答の発言を報道した。
(質問者)
日本や日本の投資家にとって、米国債を保有し続ける事は損失をこうむる事にならないか。
(首相)
ここに連邦準備制度理事会やニューヨーク連銀の関係者はいないでしょうね。
実は何回か、財務省証券を大幅に売りたいという誘惑にかられた事がある。ミッキー・カンター(元米通商代表)とやりあった時や、米国のみなさんが国際基軸通貨としての価値にあまり関心がなかった時だ。(財務省証券を保有することは)たしかに資金の面では得な選択ではない。むしろ、証券を売却し、金による外貨準備をする選択肢もあった。しかし、仮に日本政府が一度に放出したら米国経済への影響は大きなものにならないか。財務省証券で外貨を準備している国がいくつかある。それらの国々が、相対的にドルが下落しても保有し続けているので、米国経済は支えられている部分があった。これが意外に認識されていない。我々が財務省証券を売って金に切り替える誘惑に負けないよう、アメリカからも為替の安定を保つ為の協力をしていただきたい。


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