見出し画像

掌編『讃頌』

 私のことをよく知っている貴方へ。

 もしもその駅を猛スピードで通過してくれる電車が無いのなら、隣の駅まで移動すれば良い。それをする気力すら失われているからって、何も心配することはないんだ。手段なんて、他にもたくさん用意されている。焦ることは無いんだ、決めた以上は。

 月曜日に死にたがっているのか。それが少し恥ずかしいのかも知れないね。でも、そんなの全然気にすることないんだよ。いくら自殺者が最も多い月曜日に、統計的に以外はまるで目立つことの出来ない死を迎えることになったとしても、それが君にとって特別なイベントであることには変わりが無いんだ。誰もが死んでいる月曜日を避けたいという気持ちは分からないでも無いよ。自分は、少しでも社会に抗ったんだって言う証を示したいんだね。でもまあ、今までだって多くは流されて生きてきたじゃないか。最期もそうだったからって、誰も笑いやしないよ。

 その空は青いのか、灰色か、もしくは涙を流しているのか……どうなんだろうねえ。どうせなら良い天気だといいな。口から出る言葉とか手で記す文章って言うのは、吃驚するぐらい弱々しくて、ちょっとつついただけですぐに死んでしまう。その点、頭の中に映し出された風景は結構長く残り続けているものさ。君があの世に持って行ける最後の景色が青い空の下にあったなら、きっとそれは素晴らしいことだと思う。それだけでも、これまで頑張って生きてきた価値が十分にあると言えるだろうさ。

 誰だって知っていることだよ。必要なのは、ちょっとした後押しなのさ。優しさや、慈しみで満たされている、ほんの少しの助言なんだよ。それだけで随分と楽になれる。そうしたらもう勝ったも同然さ。そう、心配は要らない。諦める勇気を出すのはなかなか難しいかも知れないけれど、それでも、もう十分に喋りきったじゃ無いか。これ以上誰かに伝えたいことなんて、無い筈だろう。こんな蒸し暑い夜に感傷的になったところで、少しも様にならないんだけどね。それでも仕方がない。こういうことばかりは、時間や場所を選べる問題じゃ無いんだ。

 どこかへ行きたかったな。けれど、割と無理なんだ。行くなら、南の方が良かったかな。もう一度、夜の街灯に照らされた、人のいない真っ直ぐな道を歩きたかったんだろう。

 分かりきっていることなんだ。へんてこな病気を患ってしまった自分に必要なのは友達や恋人のカウンセリング以上に、私のことをよく知っている貴方のアドバイスだってことを。それだってどれぐらい役に立つか、ちょっと自信が無いけれど、少なくとも他の何かよりは効果的じゃないだろうか。

 帰りたい家が向こうにはあるのかも知れない。出来ればこちら側にあればよかったんだけど、無いんじゃあ仕方がない。家に帰りたい。帰りたいって、まるっきり嘘だったのにそれが口癖だったよねえ。

 明日が、晴れだといいねえ。お休みなさい。その悪夢に、負けませんように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?