月記 2022/06
事あるごとに、かつて筒井康隆が書いていた(と、記憶している)「作家は常に『明日書けなくなるかもしれない』という恐怖と戦っている」という文言を思い出す。僕は作家ではないから、この言葉を踏襲するのはまったく烏滸がましいので幾らか改変して「僕は常に『ここが僕の能力の限界かもしれない』という恐怖と戦っている」と主張したい。それでも烏滸がましいな。
そもそも戦っていないのだ。この手元の記録を照合してみたところ、この一ヶ月は(既存作の推敲などをしたものの)ほぼ書いていない。積みゲーを消化しながら「凄いなあ」と思っているあいだに一ヶ月が過ぎている。どういうことだ。いよいよ月日の流れが速いと感じる年代に突入したのか。いや十年前には既にそうだった気もするぞ。
それにしても『ゼノブレイド3』の発売が遠い。九月から七月に早まったくせにこう考えるから人間なんぞ勝手だ。ともかく、八月頭は退っ引きならない事情で忙しくなってしまいそうだから困る。『ゼノブレイド3』が発売されたら『ゼノブレイド3』のことしか考えたくないのに。
ちょっと太ったのだ。二キロぐらい。なので急いで『オーウェルもハクスリーも思い至らなかったマジモンのディストピア』ことBASE BREADを食んでいるが、実のところ、最も効果的な特効薬は『ゼノブレイド3』ではないかと期待しているのだ。
発売されるだろ? 脳死でプレイするだろ? 部屋から出る頻度が減るだろ? 腹が減らないだろ? そしたらそもそもBASE BREADを食わなくても生きていけるんだぜ? それでもこの身体に搭載されている内燃機関は、完全には止まらないから必然痩せるわけだ。
だから八月頭にキッチリ痩せる、というか窶れるつもりだったのに、退っ引きならないタスクが急遽追加され、しかもそのタスクが脳死で片付けられるものではないから、僕は実に困っている。そもそも痩せるという営為は文明的生活と相反するのではないか? そうだろう? 生活なんぞ暴食暴飲抜きにやってられるか。なあにが健康だ。不健康な人間の名作は数多と見たことがあるが、健康な人間の名作は寡聞にして知らんぞ。
はあ。欲しい。生きる理由。チェンソーマン第二部では微妙に足りない。
『極限脱出三部作』をクリアした。以下ネタバレる。
Xbox Game Passに追加されていたから手を出したのだが、実はそこでできるのは第二部まで。第三部は別個に買わなければならなかった。なんて商売上手なヤツだ。
第一部のエンドロールを拝むと未回収の伏線が気にかかり、それは第二部で解決されるが、更に大きな伏線が残り、第三部でようやく全容がわかるという次第。なんて商売上手なヤツだ。
ただ、第三部『刻のジレンマ』をクリアしたあとでも若干消化不良感があった。これは仕方のないことで、本作はタイムパラドックスや多世界解釈のような世界観を採用して展開されるのだが、そもそもこういった問題は現実として未解決だから、スッキリと終わるわけがないのである。
一応世界のシステムを解明する(というよりは、本作で採用されている世界の仕組みを解説する)方向で話が進むのだが、どうも舌足らずな(論理的解明が不可能だからこそ言及を逡巡しているような)部分が目についたり、SF人間が好みそうなペダントリーを頻りに散りばめられたりしていて、どうも体良くいなされたような気がしてならない。まあSFなんて概ねそういうものだろうし、僕の読解力不足もあるのだろう。それにしてもこの感じは同じシナリオライターが手がけた『AI ソムニウムファイル』とよく似ている。「そういうもんか? ……まあこの世界観ではそういうもんなのか」と「結局どないやねんな?」の連鎖。それでも大上段から大仰な仕掛けを振り回してくる筋運びは十分に楽しめた。第三部で某人と某人がカプセルに入ったあたりが面白かったな。
あ、それと『刻のジレンマ』における、筒井康隆『ロートレック荘事件』を彷彿とさせるメタ的なトリックは良かったですね。これは指摘しておかないとモグリだと思われるからな。
そういえば、作品ごとに人物の描画方法が異なっていて、第一部は立ち絵、第二部はローポリ、第三部はやや洗練されたポリゴンで、僕としては第一部が最も好みだった。第二部はやっぱり食い足りないが、リリース当時のハードスペックを考えれば仕方がなかったのだろう。
で、第三部でようやくまともなポリゴンになるのだが、第三部だけ飛び抜けてグロい。首輪爆弾だのチェーンソーだのガトリングで蜂の巣だのはともかく、まさか酸で肉塊になるまで溶かされるとはな。断末魔の雨あられだった。『The Last of Us』あたりのゾンビ洋ゲーよりよっぽどグロかったぞ。
そういえば『AI ソムニウムファイル』の続編が出たが、買うか迷っている。作風としては割と好きなんだけど、うーむ。
さて、今月も積みゲーを崩して崩して、『ゼノブレイド3』に備える。小説については何度か推敲する程度に留まるはず。アイデアこそ浮かんだもののまだ漠然としているから固めないといけない。それから途絶した作品の再考もしましょうね。
はあ。『ゼノブレイド3』は生きる理由になっているのだろうか? なってるっちゃなってる。でもやっぱり素晴らしい小説を書くのが生きる欲望の極致でありたいものだな。人目も憚らず「自分が納得できる小説が書ければそれでいい」と豪語していたあの頃に戻りたい。もしくは、自己承認を上回る褒めを獲得したい。
がんばろ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?