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暮らす、貸す、集うための家づくり #クレイジータンク

「家を持ちたいんだ」

夕飯を食べ終わるか終わらないかのとき、お醤油とってくれない?と何ら変わらない口調で夫が言った。

私たちは30代後半の夫婦である。子どもは3人。共働きで生計を立てている。同世代の友人・同僚のほとんどが住宅購入するなか、わが家の住まいは一貫して賃貸マンション。これは、うちもそろそろ…という話なんだろうか。思わず箸を置く。

賃貸か持ち家か、はたまた購入するならマンションか戸建てか。住まい選びはその人の大事にしていることを、大げさな言い方をすれば「生き様」を色濃く反映するので、私は全世界にむかって「賃貸マンションがベストです」とおススメするつもりはない。ただ、インターネットの片隅に私の(あくまで私の)考えをそっと置かせてもらうと、「賃貸のほうが気楽でよいな」と考えている。そしてそれは、夫も同じだと思っていた。……のに、どうして?

「急に、どした?」

まずは話を聞こうじゃないかと、背筋を正して夫に問う。すると、「実は……」と彼の口から飛び出した構想は、私の予想の完全に斜めうえをいく話だったのだ。

夫の構想

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「といっても、東京じゃなくて地方に。できればふたりの地元のどちらかに、家を持ちたいんだよね」

夫婦の地元はどちらも東北の片田舎にある(ただ、両実家の間にはどでかい山脈があり、陸路で数時間かかる距離だが)。故郷の春は水田が鏡のように煌めき、夏は山々の緑が鬱蒼と生い茂る。秋は食べものがとにかく美味しく、冬は髪の毛も歯ぐきも凍る。

夫は田舎が好きだ。仕事、家族のことを一切考えなければ、今の東京暮らしよりも地元に住みたいと言うかもしれない。

「地元に帰りたいの?仕事は?転職するつもり?」

……まずい。落ち着いて話を聞こうと思いつつ、つい質問攻めしてしまった。

「いや、ふだん暮らすためというより、休みのとき長期滞在する家がほしい。できれば海のすぐ近くに」

え?それは、別荘的な?

「うん。でも、あまりお金かけずにつくりたい」

というと?

「小さい家を中古で買ってリノベしたいんだ」

ああ。それなら、我々の地元であれば、都内マンションの5分の1とか、下手したら10分の1くらいの資金で可能かもね。

「だよね。んで、もうひとつやりたいことがあって」

ん?

「ふだん使っていないときは、その家を民泊や地域のイベントスペースとして貸したいんだよね」

んん?急に話が飛んだね。C to Cのビジネスがしたいってこと?

「平たく言うとそう。けど、儲けたいとか、採算がとれるとかは微塵も思っていなくて……。新しいことにチャレンジする過程を楽しみたいというか。好きなことを臆せずやってみたい、っていう気持ちほうが強い

保守的な夫婦

驚いた。まさか夫の口から「新しいこと」「好きなこと」といったワードが飛びだす日がくるとは思わなかった。

幼少期、彼の夢は会社員になることだった。理由を問われ、「仕事はそこそこにして、余暇を楽しく過ごしたいから」と言ってのける子どもだったという(語弊があるかもしれないが、そのまま記載しときます)。自立した今はその夢を叶え、ほぼストレスなく飄々と会社勤めしているように見える。

新しいこと、好きなことをするには、それと引きかえに時間・労力・お金等々の負荷が大きい。茨の道をゆくよりも、両手から溢れる夢はとっとと手放して(そもそも持ちあわせていない?)、得意分野で効率的にお金を稼ぎ、あとはだらだら過ごしたっていいじゃない。それもまた人生。それが私の目に映る夫だ。

そういう私自身も夢を仕事にしないタイプである。私たちの価値観はとてもよく似ている。


「……いいね。すごく楽しそうな計画だね、それ」

保守的な夫の口から飛び出した「持ち家構想」に、私がぐいっと身を乗りだしたので、今度は彼が驚く番だった。

「反対じゃないの?半分遊びのような計画にそこそこ大金をつぎ込むことになるよ」

うん。しかも時間や労力もものすごくかかるよね。家つくるんだもん。乳幼児の子が3人いて、共働きで。わが家のリソースは常時カツカツなのに、これ以上タスク増やしてどーすんだって思うよね。

でも、どうしてだろう。夫の話を聞きながら次第にワクワクをとめられない自分がいた。そして思い出した。

「私の夢って、家づくりだったんだ」

忘れていた夢

子どもの頃、私はノートの片隅に漫画ばかりを描いていた。主人公がどんな部屋に住み、そこでどんな暮らしを繰り広げるのか。何時間でも想像しては描き、ひとり楽しんでいた。そのうちに、自分は「家と、そこでの暮らし」を考える時間がとても好きだということに気がついた。

悔やまれるのは、この「スキ」が仕事になると知ったのが遅かったこと。ハタチのとき、はっと気がついたのだ。世の中には「建築士」という職業があるじゃないか……!

当時、私は違う理系分野の勉強をしていたが、建築への進路変更は手の届かない夢じゃない。ただ、現時点で私の学費に工面する両親や、新聞奨学生で進学するきょうだいをみて、さらに学び直したいとはどうしても言えず、まずは働こ。働いて自分で学費を貯めよ。そう決意して社会にでた。

けれども、社会人生活がはじまるとお金に困らない生活の快適さにすっかり慣れてしまった。今からもう一度、夢を追うには腰が重い。所詮、私の夢なんてその程度だったんだ……。これ以上「建築士になること」ひいては「暮らしにフィットした家を建てること」までも考えないようになった。どちらも叶えるにはお金も時間もかかり過ぎるように思えた。


「壁一面の本棚をつくりたいの。んで、庭に吊るしたハンモックで読書したいな」

「部屋数は少なくてもいいよね。そのかわりリビングは広くしたい」

理想の家を語りはじめた私に、夫もうんうん、あとは眺望の良いところがいいなぁ。玄関をでるとそこは海なんて最高、と負けじと希望を言いはじめた。

好きなことをして生きる

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実は昨年、人生は儚いと痛感する出来事があった。このことに想い巡らせると再起不能になりそうなのでこれ以上の言及はやめておくが。この出来事を境に私たち夫婦の「保守的すぎる生き様」がすこし変わってきた。さんざん手垢のついた言葉かもしれないが、好きなことをして生きよう、と思うようになったのだ。

私の好きなことは「暮らしと家を考える」ことだ。この夢、一歩踏み出してカタチにしてみたい。いままで、お金や時間、家族の制約があって持ち家には消極的だったけれど……。そのバリアを取っ払って、理想だけを詰めこんだ家づくりをしたってよいじゃないか。


これから私は、「低予算で家をつくるプロジェクト」そのものを楽しみたいと思っているし、夫は、この家を拠点に「暮らす・貸す・集う」ことを計画したいと言う。

3人の子たちは、食卓をはさみ熱く話す我々に、なぁに言ってるんだ、というような顔つきで一瞥をくれた。

君たち、よく見ておくんだよ。親だって、大人だって、ときには熱く夢を語るものなのだ。


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