pity's

高校生のころ、夏目漱石の小説にはまった。

当時、文学好きな気になる女性がいて、話題作りのために読みはじめたのが正直なきっかけだった。

初期の作品は漢文調が強すぎて、面白味が感じられなかったが、『三四郎』以降の作品は大抵読んだ。

特に『三四郎』は面白くて繰り返し読んだが、作品中の「Pity’s akin to love」のフレーズが心に残った。

意味は「憐れみと愛情は似ている(あるいは、同じだ)」といったところだろうか。

彼女と、このフレーズについて話しをしたことがある。

恥ずかしいことに私は、愛は尊敬から始まるものだ。愛は無償だ。愛は与えるものだ。と、彼女に向かって熱く語って見せたように思う。

しかし、彼女には鼻で笑われた。

全ての愛は自己愛にすぎないのよ。と、彼女はあっさり言った。自分の心を離れて、自分の利益や幸福や心地よさを離れて、人が人を愛する感情は起こり得ないのだと。

つまり、他人を愛していると思っても、結局人は自分自身を愛しているだけなのだと。

反論が出来なかった。感情では違うと言えた。しかし、理屈の上で反論することは難しかった。今ならば反論できるのだろうか。やはり難しいかもしれない。

同じく『三四郎』に繰り返し登場するフレーズに「stray sheep(迷える子羊)」がある。我々は、所詮、愛にあふれた世界の迷える子羊なのだろうか。