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二度目のマリサポ人生を振り返る 〜パンゾーさんへの感謝〜

はじめに

「何でマリノスファンなの?」埼玉で生まれ育ち、現在は都内在住。一度も横浜に住んだ事も通学通勤した事もない私は事あるごとにこの質問を受ける。
「アトランタ五輪で川口能活選手のファンになって、それがキッカケで…」この答えもそろそろ言い飽きた上に、若い世代には伝わるか不安にもなるが、紛れもない事実。
だが、私のマリサポ人生を辿る中で、川口選手とともに絶対に外せない人物がもう1人いる。
それが、パンゾーさんこと小林祐三選手である。
私の二度目のマリサポ人生を彩ってくれたのは、間違いなく彼である。
彼のプロ生活からの引退という決断を受けて、溢れる想いを書かずにはいられなかったため、うまく纏まるかは分からないが書いていこうと思う。

一度目の終わり、二度目のマリサポ人生

上述の通りアトランタ五輪がキッカケとなり、私のマリサポ人生は小学校高学年くらいからゆるゆると幕を開けた。10年少々応援し続けていたが、その後一度マリノスから離れる事となる。

別にマリノスが嫌いになったり特別な事情があったわけでもないが、社会人になり土日休みの仕事では無かったため、必然的にスタジアムに行ったり試合を観る機会が減ってきた。さらに当時の私は仕事に没頭し、プライベートでは様々な出会いもあり遊びに没頭し、マリノスの事など気にもかけない生活が5年程続いた。

時は過ぎて2013年、思いもよらない所で再びマリノスと出会う事になる。当時お付き合いしていた相手が、偶然マリノスファンだったのだ。ただ応援しているというだけでスタジアムに通っているような人では無かったが、自然と今度試合を観に行ってみようかという話になった。
そこから私のマリノス愛は少しずつ息を吹き返して行く事となり、色々と調べたり映像を見たりするようになった。

ほぼ1からスタートの第二のマリサポ人生と、パンゾーさんとの出会い

「マリノスが好き」という気持ちは根底にはあったものの、5年以上も離れていたのだから、当然知っている選手もほとんどいない。とりあえず試合の映像を観てみようと思い、一際目立つハイトーンの髪色の選手が目についた。

当時の私の正直な第一印象としては、「なんだこの金髪(の選手は)」であった。あくまで自分の心の言葉であるが、今思えば失礼極まりない。(ほんとにスミマセンw)だが試合を観進めるにつれ、その「金髪」のプレーにどんどん惹かれ、魅了されていく事になる。後にその「金髪」の彼が、小林祐三という名の選手で、パンゾーさんと呼ばれている事も知った。
あまりプレーや戦術を言語化するのが得意ではないが、対人が強く賢さが滲み出るプレーは完全に私好み。プロフィールを調べてみると、生年月日が3日違いで血液型も一緒、少年時代は埼玉のクラブで過ごしていた事も知り、親近感を覚えずにはいられない。さらにその人間性や独特な世界観もとても尊敬できるものであり、パンゾーさんが私の大好きな選手となるのにそう時間はかからなかった。

そんなマリサポとして再出発を果たした年である2013年、チームは惜しくも優勝を逃してしまうが、もっとマリノスの試合を、パンゾーさんのプレーを見たくなった私は、翌年から少しずつスタジアムにも復帰する事となった。
ブランクを挟んでいる事もあり、最前線で応援するよりも少し離れた所で観ていたかったので、定位置はスタジアム後方か2階席。とりわけ、基本的に後半にパンゾーさんのポジションである右SBのプレーが間近で見られるバックスタンドの席を好んで選んでいたように思う。

突然の契約満了のお知らせと、鍛えられたメンタル

時は過ぎて2016年秋。衝撃的なニュースを目にする事となる。

嘘だ…何かの間違いではないだろうか?当時誰もがそう思ったであろう。
私自身、この年はマリサポに復帰して初めてのユニフォームを買った年。もちろん背番号は13。この先ずっとこの番号を買い続けるだろうな、とすら思っていた矢先であった。信じたくないけど事実である…信じたくなさすぎて、皆で声をあげればこのリリースが覆ったりしないかとすら思っていた。
私が選手の移籍で文字通り三日三晩泣き続けたのは、後にも先にもパンゾーさんのこの件だけだ。それ位の衝撃だった。

この件から、色々な意味で私のメンタルは図太いものとなっていった。
移籍のリリースも悲しみはするが納得し、取り乱しはしないし、推しは推せる時に推す。近くにいなくなってしまったとしても、会いに行けば良いというのが自分のモットーとなった。

受け継がれていく意思

パンゾーさんは去り際もカッコよすぎた。こんな形での最後なのだから、愚痴やネガティブな言葉のひとつでも言いたくなってもおかしくないし、実際そのような発言をしてしまう選手もいる中、彼は、少なくともファンサポーターに向けてはそんな言葉を全く残さなかった。それだけでなく、「次にマリノスに来る選手の事も応援してあげてください。」とすら言ってくれた。(当時の記事が見つからず、あくまで私の記憶によるものなので、多少ニュアンスの違いはあるかもしれないが。)私はこの言葉に本当に救われ、悲しいけど前を向こうと思ったものだ。

翌年の2017年、私はまずユニフォームを1着買った。
パンゾーさんの盟友であり大の仲良し、年齢も同じ中町選手のものだ。
そしてシーズン途中にもう1着買い足した。
それは2017年に新加入し、パンゾーさんと同じ右サイドバックでプレーしている松原健選手のものだ。
パンゾーさんが残した意思を受けて「次にマリノスに来る選手」を応援したかったのだ。これはサッカー以外にも言える事だが、本人が居なくなっても、残した意思や姿勢は語られ受け継がれていくものだ。
少なくとも私は、これまでマリノスを応援し続けている理由の根底には、パンゾーさんの存在がある。

感謝と次のステップへの期待

大変長くなってしまい、果たしてここまで読んでくれている人がいるかは分からないが、私のマリサポ人生を彩ってくれたパンゾーさんには感謝しかない。当時、ファンサやイベントにさほど興味がなく遠くから眺めているだけだったが、小林祐三という選手を応援できて私は本当に幸せだった。
引退といってもプロからの引退であり、サッカーを続けながら新たなチャレンジをするとの事で、寂しさよりも次のステップでどんな事を成し遂げてくれるのか楽しみだ。そんな彼に、同年代の私も刺激を受ける。

来年の私はきっと、クリアソン新宿を追って関東1部リーグの試合にもひょっこり顔を出すだろう。未だ知らない世界を見に行く事は、楽しいし幸せな事だ。
パンゾーさんの次のキャリアでの成功を、心から応援している。


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