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木の躾は厳しい            #8 樹木たち・・・ 

木というと、ただその場所に適当に生えているものだと思っていませんか。私は思ってました。

ましてや、木も親から、教育を受け、激しく躾けられないと、立派な木にならないなんて思ってもいないと思います。

そもそも、植物である木が、子供の面倒を見る?
???? だと思います。

それでは、木の教育の話をしよう。
ブナの木です。

ブナの若木は、その気になれば、一年で50cmくらいは成長できる。
しかし、若木の側にそびえる親木がそれを許さない。
何せ、ブナの成木は、樹高30mにも達する。
その親木たちが、枝を伸ばし葉を茂らせて、日光の97%を吸収してしまうので、若木の生えている地上には、3%の日光しか届かない。

これでは、生きるために必要な糖質を作るのに、せいっぱいで、とても成長に栄養を回せない。

こいう状態が、親木が病気や寿命で死ぬ時まで、続く。
つまり、親木が樹齢200年だとすると、大体あと200年。
だから、若木は、100歳近くの樹齢でも、鉛筆くらいの太さ、樹高は人間の背丈程にしか成長しない。

これが、ブナの教育なのだ。
こんな耐乏生活を強いられて、ゆっくりと育つと若木の内部の細胞は、とても細かく、空気をほとんで含まないようになる。

こうなると、柔軟性が高くなり、嵐が来ても折れにくくなる。
空気がないので、菌類に対する抵抗力も強くなり、感染しない。
少々傷ついても、樹皮がすぐふさぎ腐るようなことにはならない。

つまり、強い体になるのだ。
このために、300年近くの修練を課されるわけだ。

100年というと、えらく長い期間に思えるだろうが、400年生きるブナからすれば、まだ、若造だ。
人間に当てはめてみれば、まだ義務教育さえ終わっていない年齢なのだ。
独り立ちして、あと200年、300年生き抜く、基礎体力をつけさせるのだ。

ここまで読んだ人は、そりゃ、たまたま、それこそ日の当たらないところに生えた若木がそういう運命になるだけであって、親木が教育している証拠にならない、と思う人がいるかもしれない。

また、親木は自分のことだけ考えて、日光を独占し、若木のことなど考えていないのだ、と思うかもしれない。

そうではない。
親木は、日光をただ独占しているわけではないのだ。
生きるに精一杯の若木に、根を通して養分を与えている。
この与える養分の量をコントロールしているのだ。

急いで成長しないように、じっくり時間をかけて、体力がつくように、親木が面倒を見ている。
若木は、光でコントロールされ、栄養でコントロールされるので、親木のいうことを聞いて我慢するしかないのだ。

もし、なんらかの事情で開けた土地に生え、光も水も十分にあったら、若木はどんどん成長する。
そうすると、外から見たら、立派に育っているように見えるが、木の細胞は、空気を含んだ柔らかいものになってしまう。

そうすると、強風が吹いて、枝や幹が傷つくと、細胞が柔らかいので、そこから菌類が侵入して、数十年で朽ちてしまう。
とても、400年とか生きられないのだ。

親木は、寿命が尽きる時、最後の力を振り絞って、残った全資産を根を通して若木に託すということも分かっている。
つまり、親木は若木をずっと育ててきたのだ。

およそ生物なら、自分の遺伝子を残そうとする。
我々は、種の保存というと、動物のことだけを考えてしまいがちだが、植物も同じなのだ。

どうしたら、子供が立派に後継者になることができるか。
急いで成長したら、長生きはできないということをブナの木は、知っていて、子供をゆっくり時間をかけて成長するように、きを配っているのだ。


木が教育する(鍛えるということ)とは、そういうことです。

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