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文章の長さ

結論から言うと、短ければ短いほどいい。
以上。



一言で、明確に伝わるのなら、一言がいい。
しかし、わからない人には、理由、説明がいる。

文章は情報を伝える手段だ。
「短ければ短いほどいい」と言うのは、伝わると言う前提がある。この前提が成り立たないときは、理由、説明がいる。


伝えるために前提や、条件等の説明が必要な時がある。
しかし、この場合も、明確に簡明にするべきだ。

長くなれば、伝える側も受け取る側も時間と労力の負担が増える。だから、短い方がいい。

なかには、一万字近く書かないと、伝わらないという人もいる。多分、検索エンジンが、長文を評価すると言う噂(事実かもしれん)の本質を理解しないで、長文礼賛を無批判に受け入れているのではないかと思う。

こういう人の文章を読むと、的確な情報を受け取ったときに感じるスッキリ感が全くない。かえってモヤモヤ感が残る。
書いている本人自身、書いている内容をよくわかっていなのではないかと、疑問さえ覚える。

試験で何を答えるべきかわからず、とにかく、知っている単語をありったけ並べたような、悲喜劇的状況のあれだ。


とは言っても、文章が長文になるものもある。
二つある。

一つは、物語。
これは、読者に背景や状況を理解してもらい、その後、状況や心境の変化を綴っていくので、長くなる。

もう一つは、物事の分析や自分の認識過程を綴る場合だ。途中経過を端折ら位で丁寧に分析や過程を書く。

いずれも、文章は必然的に長くなる。


しかし、よくできた物語は、状況や心境がビデオを見ているような感じに読み手にイメージできて、長文が気にならない。むしろ、次はどうなるのかという興味に惹かれて読み進む。

反対に、状況や心境がイメージ化できないもの、不自然なものは、頭が拒否し出して、読む気が失せる。


物事の分析や認識過程を綴った文章は、途中のステップを端折らず、丁寧に書いてあると、これも、面白い。
ただし、自分の頭で考えてない・自分の言葉になってないものは、大鋸屑を食べているようで(食べてみたことはないが)味気ない。したがって、読みづらい。


と、私は思っている。






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