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ごみ拾いの価値

前書き

大阪からふるさと和歌山の串本に帰り

すこしいいことをしようかな?

とはじめたごみ拾いだった。

(たまに、いい人スイッチが入ったように

いいことをしたくなるのだ。たいてい続かないのだが…)

でも、かれこれ半年…

毎日続けなくてはいけない…

そう思えるほどに串本の海は汚れてしまっていた。

毎日10分も拾えば

50Lのゴミ袋が一杯になってしまう量なのだ…

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目次
1.無意味に感じるゴミ拾い
2.お金の意味って…
3.働いた努力がむだにしないためにも


1.無意味に感じるゴミ拾い

どれだけ拾っても、くり返されるポイ捨て

しかも、ただ働き…

こんなことに価値なんてあるのだろうか…

価値はある!

お金が成立する上でも重要な価値が!


2.お金の意味って…

お金はものと交換するための道具だ。

とくに、生命を維持するための食料を

いつでも交換することができる。

これは、生命の本能としてとても魅力的なことだ。

でも、ポイ捨てによってこんなことがおこっているとしたら…

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ビニールからでられなくなって息絶えた魚…

もしかしたら将来食卓にならんでいたかもしれない…

ポイ捨てにより、

「お金と食料を交換する」

それができなくなってしまうんじゃないだろうか?


3.働いた努力がむだにしないためにも

田舎、串本に帰り思う。

畑をして、自分で野菜をつくる中で

「安全で、おいしい野菜を食べたい」と

「おいしい野菜をつくるうえで重要な、海の資源も守らなくてはならないと」

安全…

いや、

安全以前に、食物さえそだたない環境になってしまうかもしれない…

今の、貨幣主義における仕事の価値を否定しないためにも

ごみ拾いは価値のある行いなのだ。

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