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【27歳・ラグビーを引退した今思うこと】❷

第二部

−リコーでの4年間を振り返った時に、2年目のPR(プロップ)転向は大きな転機になると思う。


きっかけは1年目の11月のつま恋合宿で監督と面談した際に転向を打診されたことでした。
自分の中では今までやってきたLO(ロック)っていうポジションをとても大事にしていて。ラグビーを始めた中学生の時のニュージーランド人顧問の先生に、ニュージーランドではLOはとても尊敬されるポジションで、身体を張ってチームを縁の下から支える男の中の男のポジションだ。って言われたのがずっと残っていて。自分もやればやるほどLOっていうポジションが好きになってプライドを持ってプレーしていました。
なので最初打診の話を頂いた時はありえないっていうのが正直な気持ちでした。
ただ、同じポジションのチームメイトと自分を比較したり、もう一度自分自身を見つめ直した時、試合に出れるチャンスが広がるかもしれないなと思うようになって。
そこから1ヶ月じっくり考えながら、同じようにLOからPRに転向した柴田和宏選手に話を聞いてみたり、他のチームメイトの方たちにも客観的にみてどう思いますかと意見を聞きました。
その中で、身体張れる日本人のLOっていうのは貴重だしリアルロック(=素晴らしいLOにつく呼称)を目指してもいいんじゃないかっていう意見や、PRは辛抱強さ、我慢強さが求められるポジションなので向いているんじゃないかなどの意見をもらって。
その時は当然未知へのポジションへの挑戦になるとは思ったんですが、自分にもやれる部分があるじゃないか、チャレンジするもいいんじゃないかと思えるようになって覚悟を決めました。

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−PRというスクラム最前列で相手と組み合うポジション。日本代表では稲垣啓太選手(=パナソニックワイルドナイツ)や中島イシレリ選手(=神戸製鋼コベルコスティーラーズ)や具智元選手(=ホンダヒート)らが昨年のW杯での活躍が光った。


実際プレーしたPRは本当に見たことのない新しい競技のような印象で。ラグビーをする人たちの中でも別競技と言われることもあるんですが、自分もそこまでかと疑っていた部分も正直どこかにあって。LOやFL(フランカー)をやってた時スクラムになれば当然後ろから押しますが、今まで組んでいたスクラムとはもうまったくの別物でした。
当然スクラムに対する気持ちは強くなりましたし、特に試合の最初の一発目っていうのは本当に気合が入って、次身体が動かなくなってもいいぐらいの気持ちで望んでました。


−試合最初のスクラムで優位に立てればチームにとって大きなアドバンテージになる


そうですね。なので最初のスクラムがうまく言った時の嬉しさはやっぱり物凄くありましたね。この試合いけるかもっていう気持ちがやっぱり出てきて。本来はスクラムとフィールドでのプレーは直結させてはいけなくて。スクラムが駄目だからフィールドも駄目ではいけない。でもそのなかでもPRっていうポジションだとやっぱり切り離せないところがあって。やっぱり最初が良いと気持ちが前に向けました。
すべてが上手くいくような精神的な余裕は凄まじくて。だからこそ逆に、一本目で自分のスクラム全然組ましてもらえないと、試合中に自分の中で次への対策はたててポジティブに切り替えようとはしますが、メンタル的プレッシャーは常に感じることになります。
デビュー戦のNTTコム戦では最初のスクラムでやられてしまい、結果的には精神的ハンディキャップを抱えながらの試合になってしましまいた。
劣勢な状況でも、自分のコントロールできる部分、自分のルーティンを1からやることであったり、相手に合わせた対応策をやってみるであったりとか、後はレフリーの方々とのコミュニケーションですね。こういった面での経験が、試合でのスクラムを左右するのでしっかりとした実績を積み上げていかなければならないポジションだと感じました。

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−PRに自分のすべてを注ぎ込んで手応えも少しづつ感じていた中で、他チームでラグビーを続ける選択肢もあったと思う。


来年の更新をしない事を面談で告げられた時には頭が真っ白になって。今までチームに必要でないと言われたことがなかったので、その時は辛いなというのが正直な気持ちでした。ただその後、時間がたつにつれて、次のステップを考えなければいけないって時に、もう一回別のチームに移ってラグビーをやると決めて、もし仮に別のチームに声をかけて頂いたとしても、そのチームに100%、120%の力で今まで以上に向き合えるのかって考えた時に素直にできるとは思えなかったんです。


−それは何故なんだろう


もちろんリコーっていうチームが好きっていう気持ちもまずあって。目線が狭いって言われてしまうかもしれないんですが、自分はチームへの帰属意識っていうのがやっぱり強くて。すごいこだわりをもって向き合ってきたチームに必要とされていないっていうのは本当に大きなエネルギーを失ってしまうものなんだなと。
今27歳っていう年齢を考えて、本当は35歳ぐらいまでリコーでPRを続けたかったんですけど、それはできないって時に自分の素直な気落ちで考えてみて、今までとは違うアプローチでラグビーに関わっていくのもありなのかなと。
ならば当然次への行動は早い方が良いですし、一回プレイヤーに区切りをつけて、リコーに対してできること、ラグビーに対してできること、勿論自分のためにできることを準備をしなきゃいけないなと思いました。

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−未来に向けて今考えることは


これだっていうものは無いんですが、語学を習得して日本だけではなくて外国のいろんな国籍の選手たちとラグビー観を共感してみたいという思いは強くあります。通訳のようなチームを裏から支える存在になって、同じ喜びを共感したり、今までのPR、FL、LOとやってきた経験を活かして日本選手との架け橋になれれば素敵だなと思います。
また今後のトップリーグにはメンタルコーチの存在がもっと重要になると感じていて、日本代表メンタルトレーニングコンサルタントである荒木香織さんが言われていた
“評価判断することなしに「ただ聞く」「ただその人を理解する」人の存在”っていうのがチームは必要なんじゃないかと。


「リーダーシップは素質ではなくスキル。身につけられる」元ラグビー日本代表メンタルトレーニングコンサルタントに学ぶ組織変革
https://ix-careercompass.jp/article/4573/?fbclid=IwAR3SdWdIZ97ySg44-lIC3Qvbyn42XrYo_PclBoBDv9YNFMYKf6_nC7q0NFQ


そういったことも考えながらラグビープレイヤーじゃない自分が何が好きで、何をしたくて、どうやってラグビーに接していくのか。どういう貢献ができるのかっていうのを考えていければと思います。

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(取材・構成:安藤岳)


最後に

2部に渡って振り返りを書きましたが、読んでくださった皆さま、ありがとうございました。聞き手をしてくださった安藤さんは、大学時代に新聞部で、よくラグビー部を取材してもらってた方です。加えて御礼申し上げます。

次に何をしたいのか、まだ明確に言うことはできませんが、自分と向き合い、自分のしたいことを見つめなおして、行動していきたいと思います。

この状況下で不安な日々が続きますが、体調にお気をつけてお過ごしください。またどこかのラグビーグラウンドで、皆さまにお会いできるのを楽しみにしております。




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