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忘れられない"推し"がいる話



思春期に出会う"推し"って、
人生にめちゃくちゃ大きな影響を与えてるんだ、
なんて考えることがある。

私は小さい頃から歌が好きで、音楽が好きで、"好きなアーティスト"がいるのは、いつも必然だった。


私は中学時代、ちょっと不安定だった。
あの時の自分は、周囲に認められようと必死で、今もあの時の自分は、思い出したくない。


高校の時は反抗期がすごくて、今でも笑い話にできないくらい、あの時の自分は本当に"青かった"なぁ、なんて思う。

だけど、そんな苦い記憶とともに蘇るのは、あの時を一緒に過ごした推しってめちゃくちゃ特別だよなぁ、ということだったりする。


1."あの日の推し"の話


高校時代をともに過ごした"推し"は私にとってめちゃくちゃ特別で、今も、私の心の底にいつもいる気がしている。

家族でもなくて、友達でもなくて、先生でもなくて。
推しが言うことに救われて、推しのために頑張れて、推しがいないと知らなかったかもしれない世界をたくさん知って。
私のことを1ミリも知らない推しの存在が有難くて、推しだけが教えてくれたことがたくさんあって、悲しみに押しつぶされそうな夜は推しに寄り添ってもらって。

だから、
「ああ、もう推しから手を離さないといけないのかもしれない」
「あの時みたいに推しを想う気持ちを思い出せない自分が辛い」
と思ってしまった自分に気付いた時は、必死にその穴を埋めようともがいていた。


言葉にすると、本当になりそうで怖かった。

だけど、いつまでも自分の中に残しておいたら、ずっと私に絡みついて離しそうになかったから、やっと踏ん切りがついた今年、言葉にしてみた。

2.そんな"推し"との出会い

推しには、高校入学前に出会った。

敢えて名前は出さない。
私が出会った"推し"は、音楽家で、役者で、そして文筆家だ。(きっとここで、なんとなく「あ。」と気づく人もいるかもしれない)

そんな彼に出会ったきっかけは、一冊の本だった。

「自分のことが分からないな〜」と葛藤していた中学時代。

1人ぼっちが苦手で、1人になりたくない、という気持ちがずっと心の奥底にあって。

だけど、もがけばもがくほど、どんどん人は離れていくように感じちゃって、それが怖くてみんなに染まろうとして、結局何だか自分を見失った。

そんな時に母が見せてくれた新聞の本の広告欄を見て、握りしめた図書カードで、本を2冊衝動買いしたのを覚えている。

助けられた。救われた。

「人はもともと孤独だ」と謳うその本が衝撃的で、自分の中にはこれっぽっちもなかった概念に気づけて、スッと心の荷が降りた。

その言葉を見てから、いつも"群"として見ていた周囲の人たちを、個々で見たいと思うようになった。
外出も、店に入るのも、1人でへっちゃらになった。
最初は慣れるのにちょっと苦労したけれど、お守りみたいに手元にその本を忍ばせては、辛くなりそうになったら、その本を広いた。

それから、その人の音楽家の面にも目を向けるようになった。

その人が創る優しい音が好きだったし、その人が話してくれる制作秘話が大好きだった。


何より私は、その人が話す言葉が好きだった。

一生懸命、ゆっくりと言葉を絞り出す姿が好きだった。

忘れたくなくて、ノートにその人の言葉を落とし込むようになった。

ことばが大好きになるきっかけをくれたのは、まさにその人だった。

3."推し"に想いが届いた瞬間

一度だけ、その人がラジオでパーソナリティをしていた番組に、メッセージが届いたことがある。


「不安な時や、辛い時、本を手に取っていつも背中を押してもらっています」

「あなたのことばで、自分の考え方が少しずつ変わって、毎日が少しずつ明るくなっていく不思議なことがたくさんあるんです」

「ことばって本当にすごいです」

上手く言葉がまとめられなくて、省略して省略してあまりにも普遍的になったメッセージを読んで、「嬉しいね。ありがとう。」と言ってくれた。
私は、本当にこの人が好きだ、と思った。

4."その日"のこと

私が大学生になって、その人は結婚した。
喜べるものだと思ってたのに、私はちょっぴり寂しかった。

「いつの間に距離感を間違えてたんだろう」

「あれ?私はこんなに彼に助けてもらってたのに、何でこんなに混乱してるの?」

あんなに大好きだった人だからこそ、今までとの気持ちのギャップについていけなくて、しばらくは、これまでに彼がくれたものを見ることも聴くこともできなかった。

結婚しても、やっぱり"推し"は今まで見てきた姿と何も変わらなくて、
むしろめちゃくちゃ良い顔してて、伝えてくれることばがやっぱり温かくて。


私、すごい人を好きだったんだなあ

自分を見つけていかなきゃいけない大事な時に、この人と出会えて良かったなあ

…ちょっと好きになりすぎてたんだなあ

そう気づいた。

今もこの気持ちは何なのか分からないけれど、
私にとって、今まで生きてきた中でこれほどに自分の隠そうとしてた部分を包んでくれた人はいなかったし、
「生きにくいなあ」ともがく自分に、「そのままでいいよ」と言ってくれる気がしてたその人は、今もずっと心の底にいる。

もうあの時みたいに、その人を熱烈に好きだった時のことは思い出せなくなっている。

だけど、今でもその人が書くエッセイが好きで、
どうしても不安で仕方ない時に、ふと手に取ってしまうのはのその人のことばだったりして。
そして、いつぞやの自分が最高だと思った音楽は今でも最高だ。

5.今の私



今、私には、バンタンという存在がいる。

あんなにキラキラした世界が苦手だった私を変えてくれた存在だ。
「ひとりでいることも悪くない」と思っていた私に、
「大切な誰か」との繋がりの大切さを教えてくれて、
「誰かを思いやるには、まずは自分を愛すことから始めなきゃいけないんだ」と気づかせてくれた人たちだ。
まだまだ自分の嫌いなところはたくさんあるけれど、思うようにいかない世界の生き方を7通り、そしてファンの数だけ教えてくれる彼らの存在が好きだ。

彼らを通してできた友人と、彼らのことを語るのが好きで、
「ここだけでしか通じない話」をしてる感じが好きで、
今とっても楽しい。

でもやっぱり、あの時自分が好きだった人は特別で、ふとした時に思い出す。

私は変わっちゃったのかな、なんて思ってたけど、変わらないものもあるんだなぁと思ったりする。

伝えたいのは、ただこれだけ。私の生活を生きやすくしてくれてありがとう、だけだ。

やっぱり、まだまとまらないや。
いつも、分からなくなるんだよなあ。

だけど、どれも私にとって大事だってことはいつも、いつだって変わらないよ。

あの時の"推し"がくれたものを大事に抱えて、私はまた新しい思い出をつくっていくのが今はとても楽しみ。

だから、これも自分だって認めてあげたい。

そして、"推し"の幸せをいつも、常に願っています。

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