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怒りの矛先は自分のサヤに収める

自らの凡人さを自覚するのは傷を抉られ怒りを持つ時です。

どんなに近しい誰かであっても、そうじゃなくても。その人に気になる何かを言われたとして、それを傷のある心の奥まで導いてしまうのは自分です。

傷を抉られたのではなく、傷を抉られたような気分に陥っただけです。

そう引き寄せたことで、走馬灯のように過去が脳裏をめぐり、思い出した心細さや悲しさで心が彷徨ってしまうと、その弱さを跳ね除けるために怒りが爆発。

その怒りを、口から顔から出さないように。押し込めれば押し込めるほど存在がどんどん大きくなってコントロールできなくなります。そうなったら、さんざん心のなかで酷い悪態をついてしまう。でもそうすると溜飲が下がり落ち着きます。

同時に、もう一つの現実が見えてきます。その横顔は天使のようにつるんとしていて、ついさっきまで渦巻いていた怒りの発端とは思えない顔つきだったりして。

そうやって、つながらないはずの目の前の現実と過去とを結びつけてスパークさせ、一つずつ終わらなかったものを終わらせ始まらなかったことを始めるのかもしれません。





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