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クックパッドをレイオフされた42歳無職爆誕

6月にレイオフの通告を受け9月末でクックパッドを退職。
レイオフされたときの気持ちや9月30日までについて書いてみる。

6月初旬:1本のメールでレイオフ対象になりました。との通告。まさか自分が⁉と激しめに動揺したのを覚えている。好意にしてくれている取引先や同じチームメンバーに伝達。そうなったらまぁ仕方ないと思い、次どうするか。どう稼ぐかを考えだしたのを覚えている。

その時は転職するのか、個人事業を引き続きするのかなど選択肢はありがたいことに割とこの年齢にしてはあったかもしれない。
だが、好きで入社して3年半サービスとして実現したかったことは出来ず(サービスそのものが変わったけど笑)志半ばになることは気持ちが悪かった。

交渉し9月末では在籍できたのでその間、とりあえず個人としての動きを強め収入インフラ作りを必死にしていたのを覚えている。
幸い生きる力はある方なので逆に期限を決めてやりきることは得意であった。
と同時に、先輩、後輩、元同僚、経営者から夜のお店の方々まで積極的に話しにいき現状を聞いて壁打ちの相手になってもらった。 42歳という年齢となり、次のタイミングが最終キャリアになるであろうと思っていた。
そこで共通して言われたことは、自分を売り出した方が良い。ということ。
色々な方に言われてもこれって『ピン』とくるものではないと思うが、俺自身も人に言ったことがある言葉だなと思った。
客観的評価はきっとその票数が高ければ濃度が増すのでは。と考えた。

そこから自分を売り込む。について考えていた。(詳細は次の回)

そんな中で某水産のMD会社の社長が元部下でいたので彼の仕事を手伝いつつ成果報酬でフィーをもらうことを進めていた。協力してくれる水産加工メーカーの社長とも近づき看板を掲げ営業をすることに。(日本の鮭の10%程度を流通させている企業)
武器が増え営業を進めていくことになる。
俺はまずは稼がなくてはいけない。という思いが強く、1回あたり数トンを卸すべく商談を重ねていたが、しっかり価値や商品のすばらしさを伝えた上で販売したいという意向と徐々に価値観がづれていった。
そんな気持ち悪い状況がありつつも日々過ごしていたが、やはりこのままではお互いストレスになるということで話しをし価値観の相違ということで離れることにした。

後悔は1ミリもないし、嫌な感じも1ミリもない。同じ価値観で仕事ができないのであれば少数であればあるほど早い段階で離れるべき。
そこはお互い一致していた。

こんなことを6月から9月末でつらつらとしていた。
ほぼ飲み歩いていた記憶だがそれは社会人の時も変わらないから面白い。

次回は無職の10月スタート編

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