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死ぬかと思った。 僕と渋谷と扁桃周囲膿瘍。

2020年5月9日土曜日。
ぼくはまさに死の崖っぷちでうずくまっていた。ひとたび風が吹けば、死の淵へ転がり落ちそうなほど弱々しく、生に縋りついていた。

死は生の対義ではなく、生は死を内包するものである。生が死を内包するからこそ、生は輝くのである。そして、死は、若ければ若いほど、また変死であれば変死であるほど、生の輝きに煌々たる光を与えるのである。
三島由紀夫、マリリンモンロー、マイケルジャクソン。
常人には理解できぬ死を遂げたからこそ、圧縮された生の伏線を回収できる。そう、死それ自体によって生が終わるのではなく、死によって大衆が成した解釈で生が終わることがあり、反対に生が輝くこともあるんだ。

ぼくは最後から3番目の力を振り絞り考えてみる。
ここで死ねば、何か意味のある生になるだろうか。

男/23歳/社会人2年目/渋谷で独り暮らし/彼女なし/趣味パスタ作り...

嗚呼、こんな男が死んだとて何の意味も持たない!
ここまで記号を持たない男は、YouTubeに「渋谷スクランブル交差点で、白線部分しか踏んではいけないゲームをして、白線部分以外を踏んでしまったから実際に死んでみた」をアップロードするほか、メディアに取り上げられることはないのである。

ぼくは最後から2番目の力を振り絞り、死の瀬戸際に立たされている原因を省みることにした。

思えばゴールデンウィーク最終日、つまり2020年5月6日水曜日からその兆候はあった。
ぼくの食生活は、『朝 フルグラ、昼 レトルトカレー、夜 パスタ』と決まっていて ——意識の低いイチローのようなクソ食生活である ——言うに及ばず、ゴールデンウィーク最終日も無批判に上記三食を胃袋へと流し込んだ。

ぼくを死の淵へと追いやる悪魔は『昼 レトルトカレー』からその顔を覗かせていたのである。
みなさんもカレーライスを食べる時、意識的に、はたまた無識的に「カレーマネジメント」をしていると思う。
カレーマネジメントとは。まず、皿に盛られたカレーライスを俯瞰しているシーンを想像してほしい。ライスとルウのバランスを目算し、それらを最後の一口となるまで一緒に味わうために、独自に編み出した黄金比でスプーンにライスとルウを掬い続けるのである。軌道修正を繰り返しつつ、最後の一口、お皿にはほぼ1:1といっても過言ではないライスとルウが残っている。
ぼくは大学生の時、友人からこれが「カレーマネジメント」だと教えてもらった。
今でもカレーライスを食べる時は、張り詰めた緊張感の中で「カレーマネジメント」を続けている。カレーを食べる時の一種の敬意だと思っていただいて差し支えない。「カレーマネジメント」を極めるものこそ、真のカレーライスを嗜むことができ、「カレーマネジメント」を体現できるものこそ、極楽浄土の道を切り拓くのだ。

ぼくはその日、それを怠った。
つまり「カレーマネジメント」をしなかったのである。なんとなく気怠かった。
当時のぼくは熱狂的なステイホーマーで、家に留まるどころか、無印良品で購入した「人をダメにするソファ」に身を埋め、部屋の隅からほぼ動いていなかった。消費カロリー=基礎代謝という美しい方程式が成り立つような生活に堕落していたのである。
そんなぼくは当然動いていないからだろうと結論づけ、何も考えなかった。

そして、夜ご飯。その日ぼくはパスタを残した。
ぼくは当然動いていないからだろうと結論づけ、ぼくの心の端っこに棲む外野の声「いくらなんでも食べ盛りの若者が、夜ご飯、しかもたったのパスタ100gを残すのは体に異変があるだろう!」というシュプレヒコールを無視した。

そして、寝床に就いた。明日はゴールデンウィーク明けの出勤である。
早めに寝ようと24時前には部屋の灯りを消し、目を閉じていた。
しかし、ぼくは知らなかった。
その就寝の終わりに底無しの闇があることを。

2020年5月7日木曜日。
頭が重い。身体も重い。鉛のように全身が重い。
特に喉の奥に「やばい」を感じる。
ここであえて「やばい」という語を使ったのは、昨今の若者の日本語の乱れにより「やばい」という語が多義語化し、ぼく自身が「やばい」に得体の知れない不気味さを感じているからである。ここは「やばい」にひと花咲かせてほしい。読者の想像力を掻き立て、満腔の不安に浸ってほしい。そんな願いがある。

さて、ぼくはまず上司に連絡し、会社を休んだ。
在宅勤務中のため、休んだことが広く社内に知れ渡ることはない。
現時点でぼくの体調不良を知っているのは会社の上司数人のみである。
独り暮らしのため看病をしてくれる人などいない。
頼れるのは過去23年間生きてきた経験と知恵のみである。
幸い、ぼくの経験と知恵が侃々諤々の議論を戦わせた結果、「まだ慌てる時じゃない、さあ眠ろう。人間の病気の95%は絶対安静で治癒できる!」との宣言を発表してくれたため、ぼくは布団に戻り、眠ることにした。

遮光カーテンを締め切り、薄暗い闇に包まれた6畳の要塞で、ぼくはあの日の悲劇を思いだし、そんなはずはない、とかぶりをふった。まさか”あれ”が再来するなんて、ありえないんだ。

2020年5月8日金曜日。
目を覚ました瞬間に気づいた。
喉に影を潜める「やばい」はその主張をいよいよ大きくし、ぼくの自然治癒能力ではもう手に負えないほど、ぶくぶくに肥えていた。

ぼくは、上司に連絡し、会社を休んだ。
ここで期せずして、ゴールデンウィーク延長の9連休が確定した。

ぼくはこの「やばい」の正体を知っていた。
実はそいつに体を犯されるのは初めてではない。決して身体を許したわけではなかったのに、犯されたあの日。
大学4回生の頃に京都の耳鼻咽喉科を駆け巡り、やっとのことで見つけた信頼できる医者に告げられた忌まわしき名前。

「扁桃周囲膿瘍(へんとうしゅういのうよう)」

当時のぼくはこいつに喉を犯され、悔しくも喉奥の支配権を渡してしまった。
その日を境に、ぼくは開口できなくなり、当然の事ながらモノを食べられなくなった。唾を飲み込むという行為には、身体が裂けるような激しい痛みを伴った。ぼくは医者に縋り、喉奥の1丁目1番地、つまり扁桃腺に潜む膿を根こそぎ除去してもらった。施術には痛みを伴ったが、元来のそいつが奏でる死の行進曲よりは幾分か耐えられた。除去してもらうと、次の日には痛みがなくなり、劇的な早さで快方に向かった。

しかし、当時の医者が言い放った言葉が脳にべったりと貼り付いて、残っていた。
「扁桃周囲膿瘍はクセになる病気だからまた罹患するかもしれない。そうなったら手術という手段もあるよ」
ぼくはそれ以来、薄氷を踏む思いで生活をした。もう二度と扁桃周囲膿瘍には罹患したくない。一度目こそ身体を許してしまったが、もう同じ轍は踏まない。

そう誓ったはずだったのに。完全にかの記憶は忘却の彼方へ蒸発していた。

ぼくは「これは扁桃周囲膿瘍で間違いない」と悟り、すぐに近くの耳鼻咽喉科を検索した。
そこで差し迫る新たな危機に気づいた。ぼくが住むマンションは渋谷駅はハチ公前改札を抜け、文化村通りの先にある。まさに誰もが渋谷と聞いてイメージする「渋谷センター街」は目と鼻の先にある。昨今メディアを賑わせる「渋谷ハロウィン」はまさに階下で起きていた。
そんな渋谷の街では、徒歩圏内に耳鼻咽喉科は一件しかヒットせず、かつコロナによる営業見直しで、現在は休業中だという。

ぼくは、ここに住みたいと言った引越し前の自分を呪った。
会社から近いし、風呂トイレは別だし、独立洗面台はあるし、何より最寄駅が渋谷駅だなんて、雑誌POPEYEに載ってる男よりも断然シティボーイだと軽口を叩いていたあいつ。あいつを連れてきてほしい。責任を取ってほしい。

「住めば都」という言葉がある。今のぼくは断じてそれを否定する。
住む前は、その街の、そのマンションのいい側面しか見えない。住み慣れてきてから、あれ?こんなはずじゃなかった、となるのである。まさに恋愛と同じである。だからぼくは恋愛は友達から発展したいタイプで、マッチングアプリや合コンみたいな最初から人間を異性として認識している出会いは嫌いっつてんだろ!

とにかく、近くに頼れそうな医院がない渋谷という街が、荒涼と広がる無機質な鉄の大地に見えたのである。そういえば近くにスーパーもない。ここは人が心地よく住める場所ではない。
次引っ越すときは、信頼できる医院と食材をしっかりと取り揃えたスーパー、読書が捗りそうなベンチがある公園の近くで物件を探す。必ずだ。

ぼくは背に腹は変えられぬという思いで、近所の内科に飛び込んだ。
診察はすぐに終わった。医者は炭酸が抜けたコーラのような腑抜けた声で「扁桃腺腫れてるね〜、薬処方しておくね〜」
ぼくは確かに、数年前の悪夢よりか幾分か痛みはましだったし、食事もギリギリできるくらいに開口も可能だったので、ぼくの心配が杞憂だったんだと考え改めた。

帰宅すると直ちに医師に処方してもらった錠剤を口に放り、カッターナイフで喉を切られるような痛みに堪えながら嚥下した。

そして明日こそはよくなっていると信じ、絶対安静体勢を築き、簡易的な食事を取る以外はずっとベッドに横たわっていた。
この時のぼくは微かな希望を信じて生きていけるほどの英気があり、何事もなく嵐が過ぎ去るのを信じてやまなかった。

2020年5月9日土曜日。
死の舟はゆっくりと沈黙の海を漕ぎ出していた。
ぼくは朝から開口が厳しくなり、漲る倦怠感に身体を支配されていた。
やっとの思いで階下のコンビニに辿り着き、赤いきつねとウイダー INゼリーを大量に購入し、自室に戻る。
ウイダー INゼリーを少量口に含み、細かく噛みしだいたのち、白目を剥きながら嚥下する。これらを繰り返しようやく飲み干したところで、ぼくは昨日医者からもらった錠剤を飲んだ。今のぼくに頼れるのはこの錠剤しかない。

扁桃周囲膿瘍で最もつらいのは、唾を飲み込めないことだが、如何せん扁桃腺の奥に膿が溜まっているものだから、唾の生成量が普段の数倍である。
異物を排除するための身体の摂理だろうが、本当にやめてほしい。異物を排除する前に、この身体のあるじがこの世から排除されるぞ!わかってんのか!

キレるぼくは例の如く布団に潜り込み、目を瞑った。

このまま死ぬんだろうか。遮光カーテンをきっちりと締めた暗い部屋で、ぼくは寝ているのか、起きているのか、現実なのか、夢なのか、意識と無意識の狭間を行ったり来たりしていた。
いつもは賑やかな渋谷の街が不気味な沈黙に包まれ、そこでぼくは強く認識する。
ああ、ぼくは独りなんだ。

随分遠くまで舟は進んだ気がする。
ぼくはひとりで漕いでいた。
水面はぼくが櫂を水底に沈めるときだけ波紋をつくった。
美しく輝く水面の果てには何もなく、ひたすら水平線を描いていた。
ここに居たい。ぼくしか存在しない世界。
ぼくだけがこの水面に波紋をつくることができ、
進むことも戻ることも留まることもできる。
自分が持った櫂だけが世界を動かすことができるんだ。
なんて素敵だろう!
ぼくは鼻歌を歌いながら、体の大きさほどの舟の上で寝転んだ。

2020年5月10日日曜日。
何度も何度も目が覚める。病床に伏している時の夜ほど長いものはない。
ようやく朝日を拝める時間になると、ぼくは身体を起こした。
容態は全く快方に向かっていなかった。

例の如くウイダー INゼリーを白目剥きながら嚥下し、錠剤を飲み込む。
虚な視点の定まらない目で天井を見る。事態の早期収束を願ってやまないぼくは寝るという選択肢を選び取るほかない。
もっともぼくのベットの横に押したら痛みなく死ねるスイッチたるものがあれば、いっそひと思いに押すだろうが。

随分と長い間、舟の上で寝ていた気がする。
ぼくは身を起こすと、目前には沈黙を貫く水面と遠く彼方に水平線がある。
変わらぬ景色に安堵しつつも退屈だなと思う。
ぼくは持っていた櫂を力の限り遠くへと放り投げた。
舟が傾ぎ、水面に大きな波紋が生まれる。
櫂はモデルガンを撃った時のような小さな破裂音を波上に残し、
水面下に沈んでいった。
いよいよこの世界には大きな沈黙が横たわった。
ぼくはこの世界では楽しく生きられないようだ。
ぼくは諦めるように寝転び、ふたたび夢の中に誘われた。

目を覚ますと、何やら体が軽くなっていた。
喉の痛みも若干ではあるが、快方に向かっているらしい。
炭酸が抜けたコーラのように腑抜けた声の医者が出した薬はもしかしたら効くかもしれない。
死んでなくてよかった。まだぼくはこの世界でやり残したことがあるのだ。
アウシュビッツ強制収容所に行きたいし、京都に暮らしてたくせに実は一回も行ったことがない祇園祭にも行きたい。もう一回好きな人と付き合いたいし、兄が5年ぶりにできたという彼女を拝まねばならない。
やりたいことをあげればキリがないが何よりもまずは健康を手にせねば全てが始まらない。
ぼくは最後の力を振り絞り、全力で回復を祈って再びベットに舞い込んだ。

もう大丈夫。舟に乗ったぼくは永遠の眠りについていた。


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