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ゆるがない幸せが ただ欲しいのです


朝起きて、シャワーを浴びる。今は朝が遅いので、テレビを見ながらぼんやりと朝食をとる。なんならまだ時間があるので、少し考えた上で、本を読むか楽器を弾くかをしている。

家を出れば、片道1時間程度をかけて通勤する。
僕の中で通勤は音楽を聴く時間と同義なので、気になっていたアーティストをチェックし、好きなものがあればwikipediaやtwitterを調べる。ライブ予定を見て、対バン相手をチェックして、また知らないバンドがいたらチェックしての繰り返し。意外と片道1時間の通勤はあっという間だったりする。

会社につく。ルーティンのタスクのあれば、交渉事が進捗したりもする。組織化が十分になされていない会社で働いていると、大小はあれど問題、というかイレギュラーはほぼ毎日発生する様に思う。それら一つ一つについて、まずは自分で判断するかを決める。判断できる場合は処理し、判断するべきでない場合は相談という形で上司と対処していく。ざっくり言ってしまえば仕事を進めるというのはそれだけのことだと思っている。

出社が遅いので夜も遅めに会社を出る。
まっすぐ帰る日もあるが、友達と飲むこともそこそこに多い。
人と話しながらお酒を飲むことは楽しい。話を聞いてもらうこともあったり、聞くこともあったり。何をそんなに話すことがあるのかよく聞かれるが、あろうがなかろうが会って話しているだけで楽しいのだ。話した内容に助けられる時もそうでない時も、そうした時間があるだけで十二分に助けられている。

帰宅し、風呂に入る。テレビはあまりにみずに、家に帰ったらさっさと寝てしまうことが多い。まっすぐ帰った日は大体楽器を弾いているくらい。


人生は意思決定の連続で出来ている。僕の言う日常は小さなことから大きなことまで、プライベートから仕事まで、あらゆる僕が成した意思決定の結果として自分の身に降りかかってくる。

喜怒哀楽について、僕は全部が25%ずつでいいのかな、ともうずっと思っている。何か一つだけの人生は、きっとそれがどれであれ不満に思ってしまうのだろうなと感じている。どれかが100になるのは、誰かが僕のどれかを欲している時だけでいいと思っている。

感情をコントロールする気は全くない。器用な人間では全くないし、そもそもそんなことしたいとも思っていない。でも同時に、どこかで自分を遠くから見ていて、25%ずつでいられる様な所に自分を置くようにしている。年を重ねて出来るようになっていったことだ。そうやって僕は、周りのみんなと一緒に幸せでいたいと思っている。


人生は意思決定の連続だ。僕の意思決定の結果として僕の人生は降りかかってきている。僕は常に、自分が望む幸せをゴールに置き続け、それに近づく様な判断をし続けて生き続けている。途中で辛いことがあっても結果として幸せだと思える人生を今の所送ることが出来ている。


今まで僕が書いてきたことは全て、僕の判断の連続で出来上がっている。
今まで僕が書いてきたこと全てに、僕が判断をできなくなった時のことは書かれていない。

僕が頭を悩ませて生まれてきたもの全て、僕の喜怒哀楽が問題なく大丈夫である前提で生まれてきている。

僕は、僕の土台の話をしない。言葉が思考を通して紡ぎだされるものであるならば、その前提となっている土台の話は言葉にしても伝えきれないと思っているからだ。
それはもはや、僕が生きる上での前提になってしまってる。


僕は、あなたと生きていこうと思っている。
僕は、あなたがいて初めて、どう生きようか、考えている。


#あなたに出会えてよかった

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