見出し画像

京急2000形の歴史

⑴ 京急2000形の概要

https://railf.jp/summary/company/oote/keikyu/2000/より引用


当時、京急の快速特急(現:快特)に使用されていた600形(2代目)を置き換える為に製造されました。2扉クロスシート、京急で初めての時速120Kmでの運転に対応できる様な仕様になっています。高速運転を行う代わりに、起動加速度が低くなってしまいました。ライトは2灯、扉は両開きなど京急で採用されてこなかった新機軸を採用しました。8両編成と4両編成が、それぞれ6本製造されました。1983年に、鉄道友の会からブルーリボン賞を受賞しました。
⑵ 京急2000形の製造バリエーション
➀ 1982年12月製造車

http://blog.livedoor.jp/hwsksoswnth/archives/22562858.htmlより引用


2011編成(8両編成1本)が製造されました。2011~2014号車は東急車両製、2015~2018号車は川崎重工業製です。先行量産車でこの後、製造される編成とは細部が異なります。
② 1984年5月製造車

https://mokeitetsu.com/microace/microace-n/202007-keikyu2000-2doorより引用


2021編成(東急車輛製)、2031編成(川崎重工製)の8両編成2本が製造されました。運転台のデジタル時計の廃止など細部に変化がみられました。
③ 1985年2~3月製造車

https://twitter.com/k6ura/status/972781500671311872より引用


2041編成(川崎重工製)の8両編成1本と、2411編成(東急車輛製)、2421編成(東急車輛製)の4両編成2本が製造されました。2000形は、京急の他の形式と異なる連結器を採用したため、他形式と連結できなかった(後の更新工事で連結器交換などを行う)。従って、12両編成を組む際は2000形4両編成と連結することになった。
④ 1986年2~3月製造車

http://bosoview.sakura.ne.jp/railroad/special/2000/goodby2000.htmlより引用


2051編成(川崎重工製)と2061編成(東急車輛製)の8両編成2本と、2431編成(東急車輛製)と2441編成(川崎重工製)の4両編成2本が製造されました。
⑤ 1987年6月製造車

https://twitter.com/k6ura/status/972781500671311872より引用


2451編成(川崎重工製)と2461編成(東急車輛製)の4両編成2本が製造されました。
⑶ 運用

http://japaneseclass.jp/trends/about/%E4%BA%AC%E6%80%A52000%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8Aより引用


1982年12月の運用開始から、2100形登場までは基本的には日中の快速特急(現:快特)や京急Wing号を中心に運用されていました。後に更新工事(後述する)が行われてからは、ラッシュ時の快特や特急のみに用いられて日中は使われない日々が続きました。これは、2000形は2100形と異なり、前面に貫通扉が設けられていない為、品川より先の泉岳寺駅には乗り入れできないからです。2100形が導入後、京急の快特は基本的に泉岳寺発着で運行される様になりました。4両編成に関しても、加減速度を犠牲にして高速域に特化した為に普通列車には向かなかったです。従って、2000形の出る幕が無くなってしまいました。

http://ksweb.org/etc/201701/e001921.phpより引用

2010年のダイヤ改正からはエアポート急行(羽田空港~新逗子(現:逗子・葉山)間)で運用されるようになり、日中も運用に就くようになりました。

http://ksweb.org/etc/201610/e001944.phpより引用


2010年からは、4両編成に関しては大師線でも運用される様になりました。
2011編成と2051編成に関しては、御乗用列車として運用されたことがあります。
⑷ 特別塗装
➀ さわやかギャラリー号

https://plaza.rakuten.co.jp/noriori/diary/201803290000/より引用


1985年から2031編成を、使用してさわやかギャラリー号の運転が開始しました。1986年から2011編成、1997年から2061編成が担当し1999年をもって運用を終了しました。
② ミュージックトレイン号

http://tamu-douraku.dreamlog.jp/archives/51947690.htmlより引用


1995年まで存在した夏季のダイヤでは、2000形を使用した号車指定列車の「ミュージックトレイン号」が運行されていました。
③ ファンタジックトレインみらい号

https://www.pinterest.com/pin/851532242033976216/より引用


1988年~1991年まで、京急創立90周年を記念して2041編成に、特別塗装を施し「ファンタジックトレインみらい号」として運行されていました。
④ 復刻塗装

http://miyawaku.cocolog-nifty.com/blog/cat37588789/index.htmlより引用


2013年からは、2011編成が登場時の塗装が施されました。これは、2000形登場30周年を記念したものでした。
⑸ 更新工事
1997年から2000形に対して、更新工事が施されることになりました。当時、京急では日中の快特列車の新型車両の2100形が導入されていました。これに際し、2000形は日中の快特列車の運用から降りることになりました。この際、京急2000形には大規模な改修工事が行われます。まず、ドアの数を2つから3つに増やしました。座席もクロスシートから、ロングシートに変えました。車体の塗装も窓周りが白くする塗装から、窓下に細い白帯に配色した塗装にしました。2000年までに全ての車両に、施されます。
更に、連結器に関しても他形式と連結が出来るように1500形以降に採用されていたものに、変更されました。
⑹ 廃車
2000形は、元々は優等列車で運用される前提で設計されていました。しかし、登場から30年が経過し、3ドア化改造の影響、老朽化、泉岳寺駅への乗り入れ不可、加減速度が低いという問題が露呈しました。通常の運用に支障が生じており、問題になっていることから800形よりも先に廃車されることになりました。
特に4両編成に関しては、普通列車~快特列車まで幅広く運用された故に、老朽化がかなり進んでいたことから新1000形を導入して、置き換えることになりました。その後、8両編成に関しても廃車が進みました。2018年3月、最後まで活躍した2011編成が引退したことで京急2000形は、完全に引退しました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?