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マスコミを誤解していませんか?~広告PVを伸ばすお仕事~

以前に、元新聞記者のオジサンの話をnoteに書きましたけども。

今回、またもやtwitterにて、
オメー自分が撮影してもない写真をあたかも自分が撮影したかのようにツイートしたうえ、コラ画像まで混ざってたらしいじゃん?
みたいな事件がありまして、その件で再び元記社のオジサンから解説(?)をいただいたので、noteにて共有する次第です。

そもそもマスコミの仕事ってなぁに

俗に言われるマスコミ、それも特に雑誌や新聞の旧来の紙媒体から
インターネット上に記事やコラムを記載するネットメディア媒体まで含めて、マスコミの人々のお仕事というのは、

人々が読む/読みたくなる記事を書いて人々をその媒体に集め
そこに広告掲載をして、広告料を貰ってお金を稼ぐこと

が仕事内容になります。
ここをまず勘違いしている人々が多い(by記者オジサン)。

すなわち、マスコミのお仕事というのは、少なくとも
・正しいことを伝えたり
・世の中の諸問題を詳らかにしたり
・あるいは数々の問題への画期的な解決策を報じる
ことでは、全くないというのが大前提です。

勿論、マスコミの中にも正義感の強い人や、正しいことを伝えたいと思っている人、世の中のあらゆる問題を解決したいと思っている人々などはいらっしゃるでしょうが、
それらはあくまでも上記の「広告料を貰って稼ぐことの大前提をクリアしたうえでの"オプション"のような立ち位置になります。

簡単な例でいえば、「俺は全て手作りのケーキ以外は売らない!」と決意したケーキ屋さんがあったとしても、最終的にお店にお金が入らず運営資金が尽きてしまえばケーキ屋さん自体の営業ができなくなるわけで、
「手作りケーキ以外売らない」という理念に賛同するお客さんが集まり、お店が軌道に乗らなければ、その「コダワリ」も貫けないわけです。

というわけで、まず大前提として、
マスコミの人たちは基本的に真実・事実・正義を伝えたいと思っている人もいますが、根底としては「まずは広告費を稼ぐために沢山の人が読んでくれる・読みたくなる記事」を作るのが仕事、
という点を押さえておいて下さい。

お前ら結局、嫌だと言いつつ見るだろ?

さて、マスコミのお仕事内容が明らかになったところで、次にそこに所属する記者、と呼ばれる人々のお話をしてまいります。

冒頭にも紹介した以前の記事で

「記者会見で園長先生が泣き崩れた時に、おそらく会見場にいた多くの記者は『撮れ高!!』『シャッターチャンス!!』と色めき立ったであろう」
と言うお話をしました。

これをもって、非道だ、倫理がない、非道徳だ、と思うかどうかは読者の皆様にお任せしますが、前述の通り、マスコミの人々のナリワイというのは
「広告料が貰える、人が読みたくなる記事かどうか?」
という点が文字通りのメシのタネになるので、彼らの言を借りれば
非道徳だ、不謹慎だ、こんな記事を書くな、と言うのなら、世の中の人々がその手の記事を読まなければいい。誰もが読まなくなれば、あるいはそれによって広告掲載がなくなれば、その手の記事は書かれることはなくなる
と言う主張になります。

実際の例として、過去にも「こんな記事を出すようだったら広告を引き上げます」と複数企業が広告を引き上げたりした際には、テレビ局だろうと新聞社であろうと、お詫びを掲載して記事を引っ込めたケースもあります。

元記者のオジサン曰く、
嫌だ嫌だと言いつつも、結局お前らこの手の記事が好きで見るんだろ?
と思っている記者は多い、悪い言い方をすれば
「基本的に不特定多数の読者のことはナメている」のが現状だと言います。

本題、何故テキトーな写真をツイートしたのか?

ここからいよいよ本題となる、例の「何でテキトーな写真をツイートしたのか?」問題について、話をしてまいりましょう。

念の為ですが、ここからのお話は、当事者たる記者さんから言質を取ったわけでも裏を取ったわけでもなく、単純に私と、その元記者のオジサンが話した内容をマトメただけのこと、というのはご留意いただきたく、
もしかすると今後の展開次第では、もっと全然違う、大いなる深謀遠慮によるものだった――という話になるかもしれないので、
話半分で読んでおいていただければと思います。

元記者オジサンいわく考えられる説として
①そもそも写真のファクトとかどーでもいいと思ってる説
②前に書いたように読者のこともナメてる説
③つーか別に他者も他社も他誌もやってるだろ説
の3つがあるのではないか、とのことでした。順番に説明してまいります。

まず「そもそもファクトとかどーでもいい」説。

記者及びマスコミのお仕事は、冒頭でも書いた通り、注目される記事を書いて、人を集めることにあります。つまり、記事を書く流れとしては

・どんなテーマや内容なら人々が読みに来るか?
・そのテーマや内容のために必要な写真や資料は何か?
・集めた資料や写真を元にどう記事を組み立ててれば一番盛り上がるか?

というのが、記事を作る上での基本的なプロセスになります
(※全部がそうではないと思いますが)。

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となると、もう最初の時点で
「読者に伝えたい内容、読者が読みたいと思うであろう内容」については確定されていて、ソレを補強するために写真やら資料やらを探すことになるわけです。

本来であればココで、その写真やら資料やらが正しいものなのか、所謂ファクトチェックをすべきなのですが、他媒体より先んじて記事を出さなくてはいけない、というような圧もあり、チェックが杜撰になりがち、なおかつ「万が一間違えていたらお詫びを出せばよく、それよりもセンセーショナルな記事で人を集めること」が優先されがち、という事情もあるようです。
(この辺り、特にネットメディア等では顕著で、記事や記者に対する評価が、CRPやCTR、閲覧数などで判断されてしまうのもポイントです)

ともあれ、事前に読者の耳目を集めるような内容や主張が決定し、それに沿ってストーリーや写真や資料などを集めていく、というプロセスを経るからこそ、そもそも「その写真や資料が本当の正しいか」というのは
どうでもいいこと
であり、その結果が今回のような事件につながったのではないか、というのが、元記者のオジサンの推理でした。

さらに、2点目としては、「そもそも読者をナメている」=「どうせこの手の扇状的な記事なりツイートをすれば、お前らは見に来るだろ?」と思われていることから、そもそもファクトに興味がないことにくわえて、嘘だろうと本当だろうと読者はそんなこと分からないし、どうせ気にもしない、万が一騒がれても特にダメージはない、という点まで織り込み済みかもしれません。

そして、最後の3点目として、これらの考え方・やり口は特定の新聞社や記者、あるいはメディアだけの問題ではなく、既に多くのマスコミ・メディアがこのムーヴに乗っているという点です。
特に、新聞などを含む"オールドメディア"にとっては、個人ブログやネットメディアなどは大いなる脅威であり、それらよりもスピードや記事の内容、そして広告宣伝効果、で負けを引くわけにはいかない、というのはどこも共通の課題となっています。そのため、どのメディアもこれまでご紹介したような「スピード重視・正確さは二の次」の作戦を取らざるを得ない、というのが実情のようです。

まとめ

さて、ここまで冒頭にご紹介した
『twitter上で出所不明の写真撮影を自分で撮影したかのように伝え、あろうことかその中にはコラ画像も混ざっていた』とのニュースについて、
元新聞記者のオジサンと話した内容についてまとめてきました。

いかがでしたか?(このワードも、実にニューメディアの一角を担うクソブログの代名詞のような言葉になりましたね)

今後、当事者が写真を撤回するのか、あるいは「別の人間から譲り受けたので私に責任はない」などの主張を継続するのか?といった点については事態の推移を見守る必要がありますが、
個人的な感想としては、業界や読者を含めた体制が大きく変わりでもしない限り、火種を常に内包したままの状態なわけで、
いずれ再び、今回のような問題はまた起こるであろうと思っています。

読者の立場であることが多い我々ができることとしては、
「センセーショナルで面白く、興味深い内容だ」と思った記事やメディアほど、本当にそうなのか?と疑う目線を忘れないこと、そして
そういったメディアについては強くNG、という姿勢を打ち出すことが、唯一にして無二の、解決策ではないかと思います。

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