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夢見るあなたに捧げる「イート・ユア・シュークリーム」

あるシュークリームのイデア

大学生の頃から、某通販サイトで長い間眺めていたシュークリームがあった。

そのシュークリームを見つけた当時は学生で実家暮らしだった。Amazonも今ほど馴染みのあるサービスでもない頃で、自分で通販をするというのは何となく敷居が高かった。そのシュークリームを見つけた詳しい経緯は忘れてしまった。しかし、派手なバナーとくどい程繰り返される太字で謳われるシュークリームへの賛辞はわたしを強烈に魅了し、ほぼ毎日サイトに通うようになった。特別なミルクを使っている、「前回」よりもなめらかさが増したクリーム。形を改良することで、更に自慢のクリームを楽しめるようになった生地。とろけるクリームの写真と、手間ひまかけて開発された記事の特集は、マーケティング担当者の思惑通りにわたしを惹きつけた。どんな味なんだろう、きっととてつもなく美味しいのだろう、と毎日想像した。

その習慣はしばらく続き、週に何回かになったりもしたけれど、そのシュークリームは比較的頻繁にダイレクトメールに掲載されていたため、目に入る度にサイトに足繁く通った。あのページの閲覧数には相当貢献したと思う。

そうこうしているうちに5年が経った。

シュークリームは、ナントカ部門で1位を受賞!というのを何回も繰り返し、不動の人気を維持しているようだった。シュークリームは変わらなかったが、わたしは随分と変わった。卒業して新卒で会社員になり、2年で病気退職し、NPOや家庭教師の仕事をしたあとに転職してデータアナリストに復帰した。

そんなある日、病院に立ち寄るために午前休を取り、降りたことのなかった日暮里駅に来た。そして、山手線に乗り換えようと駅構内を歩いていたそのとき、わたしは見つけたのだ。

あのシュークリームだ。

あのシュークリームが、イベント限定店舗を出している。

何度もあの豪華な商品紹介ページを見ていたから間違いない。煽り文句も、特殊な形をしたシュー生地も、とろりととろけるミルククリームのイメージ画像も、すべてピタリと一致した。

買った。買うに決まっていた。5年も見続けてきたあのシュークリームだ。

人もまばらなそのポップアップストアで、胸の高鳴りを店員に悟られなように、あくまでもクールに注文した。ミルククリームのシュークリーム1つください。保冷剤は要りません。すぐ食べますから。

ポップアップストアから離れ、待ちきれないわたしは少し上品ではないけれど、駅の柱の影で白い紙袋を開けた。SNSに写真を上げる習慣なんて無かったから、急かす大脳辺縁系のパルスに従って何も考えずにそのまま手に取ってかじりついた。


しかし。


想像より美味しくなかった。


確かにミルクの味がする。確かにたっぷり入ってる。でも、5年間もの間熟成され、ミルククリームのシュークリームはわたしのイデア界の中では現実世界にコピーすることができないほどの完璧な存在になってしまっていた。その落差がわたしを大いに悲しませた。5年間見続けたあの販促ページは何だったのか。悪魔の使いだったのではないか。想像できるのに現界しないシュークリームをわたしに植えつけて逃げるなんて。数式の中で∞をはめられて永遠にたどり着くことのない「無限」に背中を押され続けている変数kのような気分だった。kに心から同情した。

※イデア界というのはギリシャ哲学に出てくる世界のことで、簡単に言うと「完全なもの(イデア)」が集まっている世界のことだ。簡単に言うと、世界のあらゆるものはこのイデア界から不完全にコピぺされたもので、完全なものはイデア界にしか存在しないというような文脈の中で出てくる。厳密にいうとイデア界は普遍的な真実が集まっているので「わたしのイデア界」ということはあり得ないんだけれど……そこはなんというか言葉のあやだから許してクレメンス。

それでも美味しいシュークリームに出会えるはずだから

夢を夢のままにしておくことは、とても楽なことだ。

失敗をしないし、辛い思いもしない。何かに憧れて、恋をして、ワクワクする気持ちをそのままにしておける。良いことだけを考えていれば良い。

一方で、夢や目標を叶えるために一歩踏み出すことは、夢を現実に引きずり下ろすことでもある。

初めてバンドを組んで憧れの単独ライブをやった。

夢の職業に就いた。

理想の恋人と付き合い始めた。

それは時にわたしのあのシュークリームのように、なんだかがっかりするようなことだったりするかもしれない。ライブの集客が辛すぎてやりたくなくなった、イメージと違った、結婚の話をはぐらかされ続けたのに嫌気がさして別れてしまった……。後悔したり、怒ったりすると思う。わたしもあの時、マーケティング担当者をシュークリームのかどでぶん殴りたくなった。

それでも。

人生の醍醐味は、想像できない部分なんじゃないかと思う。

仕事しながら演奏活動を続けていたら、本業で演奏の話が舞い込んできた。

ゲームの絵を描くアーティストになった後に進行管理の仕事に就いたら、アーティストの業務内容がわかるので現場の人に重宝された。

最高だと思ってた元カノは、結婚した後に振り返ると「恋人としては最高だったけど、伴侶となる人ではなかったんだな」となんだか思えた。

そんなことが起こったりする。歩くことをやめなければ、あの時たどり着けなかった別の美味しいシュークリームに辿り着けるんだって思う。ひょっとするとチーズケーキがあのギャップを埋めてくれるかもしれない。あの時のシュークリームのイデアを超える何かに出会えたのなら、それは穴埋めではなくて未知なる幸福との遭遇なのだ。ちなみにMr. CHEESECAKEはわたしの中で限界することのなかった幾多のお菓子のイデアなど吹き飛ばして現実にこそうまいものはあるのだと証明してみせた素晴らしい存在なので食べてみてください。PR記事ではないのでわたしには一銭も入りませんが、この世にミスチへの愛を撒き散らすことができるのならばそれだけで十分です。

わたしは今データアナリストの仕事をしていますが、この仕事は子どもの頃にはありませんでした。子どもの頃の夢は正義のハッカーでしたが、データアナリストの仕事をわたしなりに愛しています。少なくとも、子どもの頃に持っていた「正義のハッカーのイデア」よりも素晴らしいものであることは自信を持って言えます。

そう、だから今のわたしは「シュークリーム」を見かけたらすぐに食べるようにしているんです。そのシュークリームが美味しいかったらラッキーだし、期待外れでも歩き続ければ未知なる美味しいスイーツにいつか出会えるから。みなさんも是非。


※シュークリームは英語でcream puffって言ってシュークリームって言わないのでタイトルは厳密には「イート・ユア・クリームパフ」であるべきなんですけど……そこはなんというか言葉のあやだから許してクレメンス。

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