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4年ぶりに、「自分に浸る感覚」を取り戻したい

こんばんは、よんもじです。

一日遅れてしまいましたが、皆さまあけましておめでとうございます。

さて、新たな年を迎えましたが、如何お過ごしでしょうか。

わたしは、職業柄ゆっくりと年末年始を迎えられなかったため、正直、まだ、2021年に居残りしている気分です。もっともっと素直に言うと、2018年で止まっている気さえします。

新年早々、時が止まっているなんて事をつぶやくのは、決して明るい話とは言えないと承知しております。でも、すみませんが、ここはわたしの居場所なので、吐かせてください。

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では、そろそろ本題に戻ります。
わたしには何故、時が止まっている感覚があるのか。

それは多分、毎日得る(=インプットする)情報量に対して、自分のアウトプットが圧倒的に追いついていないからだと思います。

少しだけ身の上をお話しますと、私は3年前の春、新卒で入った会社に勤めてから、会社を変えず今に至ります。会社を変えていないため、入社した時よりも、ちょっとだけ出来ることがふえ、ちょっとだけ顔が広くなりました。おまけに、裁量と責任も増えました。

そして、ここ半年はそこそこ穏やかな環境だったものの、それでもこの3年を通して見れば、ずいぶん色んな想定外が起きた。学生時代と比べると、心が落ち着くことが全然無かった。

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話を戻しますが、時が止まっている感覚という話題を出したとき、インプット、アウトプットという言葉を使いました。これを食事で例えるなら、インプットは、ご飯をゆっくりと咀嚼することで、アウトプットは、その口の中に入ってきたものを味わい、余韻に浸っている間のことだと考えています。

そしてきっと、今のわたしの状況を食事に置き換えるなら、次から次へと、口に食べ物が押し込まれていると思います。そして、常に口を動かし、とりあえず噛み切らないといけない。それが異物か、はたまた毒かさえ考える間もなく。

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もう少しだけ身の上話をしますと、わたしは大学時代は哲学を専攻する傍ら、社会学や心理学も齧っていました。当時はとにかく、世の中の当たり前や常識を疑っていました。

そして、頭でっかちに色々と机上の空論を捏ねくりまわして、周りの教授やゼミ生と「ああでもない」「こうでもない」と世の中の流れを堰き止める事ができていた。世間はさておき、「自分の感覚」に浸る時間がたっぷりとあった。だからとても心地がよかった。

しかし、社会人になってからは、先に書いたように、善悪を考える間もなく、常に自分の身体を動かし続ける必要があった。それはそれで、ある意味頭を使わないでいいので楽です。でも、頭もある程度一緒に動かさないと、身体を動かすのが辛くなってきた時に自分に残るのは、からっぽの身体とこころだけです。それが多分、いまです。

10代の時とは違い、少し世間が見えるようになってしまったが故に、後先考えず燃え尽きることもできず、かと言ってセーブする程の器用さもまだ持っていない。どっちつかずの、ただただへとへとな状況。これじゃ、明ける年なんて欲しくても無いし、締める年さえ無いのは当然です。

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ちなみに、社会人になった3年前(2019年)は、今のような新型社会とは無縁の世界です。それでも精神がすり減った。そしてそこから、緊急に緊急を重ねた緊張する時期が長く続き、2020年、そして昨日、遂に2021年さえ終わってしまいました。

冒頭にも書いた通り、わたしの中の年は2018年で止まっている。もちろん合間には、人生観が大きく変わる出来事があったり、プライベートで立場が変わったり等ライブイベントはありました。それでもどうもここ2年、「明けましておめでとう!」という晴れやかさが正直ない。

もう、何かをやりさえすればやり切ったと言えるのか分からない。やり切って燃え尽きることも怖い。目印さえ探すことを諦めている。そんな自分が、情けなくてしょうがないです。

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それでも、わたしはこのまま、しおしおウジウジ生きていきたくない。自分の生活の中で支えとなる目標を見つけたいし、叶えたい。まずは頭でっかちでいいから、壮大な事を語って、将来に根拠のない期待をしたい。

だからそのためには、もう少しだけ、明るい未来に夢を見る自分を許して、そんな自分を信じていたいと思います。

具体的に言えば、
・学生時代の時のような、「頭でっかちになる自分」を許してあげる。
・自分の考えに浸り、ナルシストになる時間を増やしてあげる。
・自分の意見に自信を持って、意見として口に出すことを認めてあげる。(ここが文章前半で出てきた、アウトプットの時間にあたります)
・結果を出すことに拘り、焦りすぎない。もう少し俯瞰して、ゆっくりとした時間軸で生きる決心をする。
ことかな。
これらを一言でまとめると、本タイトルの“「自分に浸る感覚」を取り戻したい“に尽きます。

これはまた後日書きたいけど、わたしは共感する力が強いほうな気がします。だからこそ、会社員になって、消費者目線という言葉に強く反応してしまいすぎて、そして、先に書いたように、へとへとになってしまっている。

それでも、そういう感覚を持っている身であっても、自分の舵を取るのは自分自身だから、上手に付き合っていく必要がある。

そのためにはまず、「自分に浸る感覚」は、わたしにとって必要必急な感覚なのだと、2022年こそ、思い出したいです。

では、有縁再見!

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