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高知県が人口最小県の危機 - 田舎叩きのサディズムとIT起業立県のカウンター・イマジネーション

5/30 の朝日の記事によると、高知県の出生数が全国都道府県の中で最下位となり、「このままでは人口最小県になる」と危機感が走っているらしい。2022年の統計で、高知県(67万人)は、2割も人口が少ない鳥取県(57万人)よりも出生数が少なかった。昨年末に国立社会保障・人口問題研究所が発表した2050年までの地域別人口推計によると、2050年に人口が最も少ないのは40.6万人の鳥取県で、次が45.1万人の高知県となっている。が、出生数のトレンドを考えれば、この先、人口最小県の1位と2位が入れ替わる可能性は十分あり得る。この情報に接したのは5ch掲示板だったが、スレを一瞥すると、案の定、いつもの地方差別の狂躁状態となり、揶揄と侮蔑と罵倒で袋叩きする"祭り"となっていて、昨年の土佐市カフェ事件の際にXと5chを目撃したときと同じ憂鬱な場面に遭遇した。

当該事件を特集したクローズアップ現代で、解説に登場した山口真一が、田舎叩きの誹謗中傷消費コンテンツ になっている最近のネット状況を指摘していた。消費の語で本質を射抜いた点が山口真一の慧眼である。大都市に住む暇な - 経済的余裕のある、あるいは勤務時間中に自由にネットに書き込める境遇の ー 匿名のネオリベ右翼が、この種のニュースを見つける毎に地方を貶める嫌がらせの狂宴を繰り広げている。定期的にサディズムの愉悦に興じている。その大都市からの地方差別の視線と言説が、何の批判もされず、制止も抗議もされずまかり通っていて、ひろゆき的な冷笑と暴論となって言論空間で蔓延っている。蔓延っていると言うより、堂々と定着して、ある意味で支配的な政策主張にすらなっている。前回、今の地方差別は人権問題の域に達していると書いたが、それが正確な認識と言えるだろう。


具体的に、5ch のゴロツキ軍団がこの報道にどう反応していたか貼りつけてみよう。お目汚しの不快なガベージコレクションをご覧いただきたい。

罵詈雑言が吐き散らされ、教室でのいじめと同型の虐待が行われている。四国3県の者が相槌を打ったり、高知の者が自虐で応じる書き込みもある。学校のいじめと同じパターンだ。地方県の知事たちが、地方の人口減少は東京一極集中の構造が原因だと抗弁しているのに、5ch のひろゆきの仲間たちは一顧だにせず、地方県の自己責任だと決めつけ、能力不足だとし、地理的文化的宿命だとして排撃する。山口真一が言う「弱者を誹謗中傷する消費」の宴会が延々と続く。こうした偏見が撒き散らされ、積み重ねられ、多数の気分が醸成され、地方切り捨ての方向性が正当化される。能登の放置が当然視される。5ch 掲示板は匿名だから過激で露骨で下品だが、ABEMAでひろゆきや成田悠輔らが唱えているメッセージは基本的に同じだ。地方住民の尊厳が否定されている。教室でのいじめと同じなら、やはり人権問題だろう。

では、自分が高知県知事ならどうするだろう。不可抗力的な人口減少と、それを掉さすネオリベ右翼側の地方抹殺の扇動攻勢と、そして地方県側の自信喪失と諦めムードを前に、どのような打開と逆転のイマジネーションとオブジェクションを提示できるだろうか。瞬間的・仮想的な説得力にせよ、どのような精神的抵抗の立地を築いて言語化することができるのか。地方を愚弄し侮辱し嗜虐し、地方の尊厳を踏みにじり、病的なサディズムに酔い痴れるネオリベ右翼に対して、一撃を入れる政策言論を投擲することができるだろうか。座視しないこと、屈服しないこと、手を出して反撃することが重要だと私は思う。国が総合的な対策をするべきだとか、東京一極集中を続ける政府と経済界が悪いとか、そんな虚弱な一般論の常套句を言っていても意味がない。ガツンと、ラディカルな、コロンブスの卵のような経済政策の妙案を披露しよう。

最初に端的に結論を言えば、中国で就職できずに溢れている高学歴の若者を吸収することである。中国の若者の失業率は公式には15%だが、実際は20%をはるかに超えていて、46%という説まで出る深刻な事態に直面している。日本の嘗ての就職氷河期と同じ難局に陥っていて、大卒者が就職できないため、無理やり大学院に進学し、大学院で過剰人員が滞留して不安と鬱屈の中にある。2023年の新卒者1158万人のうち、数百万人が思いどおりの就職先を得られなかった。中国はスケールが違う。一方の日本は人手不足で、とにかく働く若者の数が足りない。大卒者は引く手あまたの売り手市場の楽園を享受している。先日、報道1930で”退職代行サービス”が繁盛している特集が放送されたが、入社後わずか一週間後に退職通告できるのは、今の日本が例外的に恵まれた雇用環境にあるからだと博報堂の原田曜平が説明していた。

日本の大卒者の数は59万人(2023年)。中国にはその数倍のボリュームの大卒就職予備軍が存在する。高知県は、現在人口67万人で、ここ数年、年間7000人から8000人が減っていて、今後も毎年1万人が減って行くと予測されている。で、何とかそれを食い止めようと四苦八苦している現状だが、発想を大きく変えて、中国から今後毎年1万人ずつ大卒・院卒の若者を受け入れたらどうか。そうすれば人口減少は防げるし、若年人口の比率が増える結果になるだろう。中国の就職難は当分続くと想定される。中国の今の不動産不況と苛烈な雇用緊縮(リストラ)は、日本経済の90年代を想起させる厳しさで、日本はそこから「失われた30年」が継起して行った。仮に中国の就職難が5年続くとすれば、高知県は1万人ずつ5万人を吸収すればよい。高知県が仕事の場を提供できるかという問題はあるが、新天地を求め、希望して移住する中国の若者はいるだろう。

私が企図する中身は何かというと、地域おこし協力隊や外国人技能実習生のようなスキームではない。現行の政策の延長上のパラダイムではない。そんなちまちました性格のものではなく、もっとダイナミックで革命的な、高知を次の深圳にするという発想である。来てくれた中国の若者には、ひとまず県内所与の部署に就いて生計を立ててもらうが、本当に注力してもらいたいのは起業である。アップル的なITの起業であり、AIの起業だ。このプロジェクトの構想と戦略を言えば、彼らにはバイト的に地場の現業に携わってもらい、裏の時間で、世界市場に挑戦するベンチャービジネスに取り組んでもらう。そういう夢を持ち、着想と腹案と自信と信念と能力を持った人材に来てもらう。そして、その計画と活動に出資するグローバル華僑資本のファンドを募る。イメージとして、韓国のネイバーや中国のバイトダンスのような企業を興したい。

そして大成功を収めたい。私が着目するのは、中国の大学生の教育水準であり、育ったテクノロジーの環境であり、少年期からの野心とエンタープライズな自我である。日本人の大学生と全く違う。学力が違い、目標が違う。日本の学生は、TOEICの点数を取り、エクセルとパワポを習得しという程度でしかなく、コネと面接の要領だけで志望企業に採用されて満足する。日本は理工系が(嘗てはあれほど輝いていたのに)ボロボロだ。製造業が壊滅し廃墟化していて、世界最先端の半導体や世界標準のソフトウェアを開発するという意志や展望を失っている。若いエンジニアが登場する条件がなく、国がそれを後押ししていない。IT製品はすべて米国製を使うだけで、米国企業に貢ぐことしか考えず、若者にはインバウンド市場の労働者になるよう奨励している。日本の若者はそれがデフォルトで、ブレイクスルーの発想とチャレンジの精神がない。

ベンチャービジネスは、基本的にガレージビジネスから出発する営みで、将来リーダーとなる若者の夢とアイディアと、テクノロジーのネットワーク(技術者・研究者)と、若者の夢に投資するファンドによって成功が導かれるものだ。今、その潜在的な資質能力を持ちながら、社会的に挫折を余儀なくされている優秀な若者が中国に多くいる。中国は今後、言論の自由が一層制限される政治展開が予想され、その影響が、不況と重なって、個人の自由なテクノロジービジネスの将来に暗雲を漂わせている。日本に脱出し、新天地の日本でハイテク起業に挑みたいと切望している若者は多いだろう。競争が激しい中国の大学生の基礎学力は日本の大学生よりも高い。英語力ですでに差がある。勉強時間が違う。基礎知識と語彙力を持ち、論理的な思考力と構成力と想像力を持ち、プログラミングのスキルを持っている。向上心を持つ、無産の、中国の優秀な若者を得たい。

この構想が首尾よく成功して、第二のネイバーやバイトダンスが立ち上がったらどうだろう。夢の話だが、途方もない法人事業税が高知県の懐に入る。ネイバーの売上は年1兆円。テンセントの売上は年5兆円。バイトダンスの売上は年18兆円。県知事の私は、その成功と奇跡のゴッドファーザーの立場になる。東京一極集中がどうたらと、泣き言を垂れる必要はない。県内各所に病院と小中学校を新設する。県内の勤務医に特別報酬を出し、全国から若い医師を集める。JR四国とJR西日本に必要な資金を与え、岡山に直結する高知新幹線を敷く。松山と直線で結ぶ高速道路を短期に工事する。北京、上海、台北、ソウル、シンガポール、ニューデリーと国際航空路を開設し、無人航空機を就航させて注目を集める。工科大学を設立し、アジアから俊秀を集める。高層ビルが林立する華麗なハイテク都市を造り、世界中から起業移住者を呼び込む。富を集積し社会を繁栄させる。

こんな感じでバイタルな構想を反論で返したい。5ch右翼のグロテスクな地方差別といじめ祭りに対して、この斬新な経世済民策をオルタナティブとして対置したい。無論、これは夢想だろう。常識では机上の空論だろう。だが、現在の日中関係の安保外交とイデオロギーの障害がなければ、つまり純粋に経済的な需要と供給だけで思索し立案すれば、実現可能性のない政策論とは言えない。合理的な案だ。たとえば、この試論での中国をインドに置き換えてみよう。インドにも、膨大な数の就職で苦労している大卒の若者がいる。インドの大学生も中国以上に優秀だ。競争が熾烈を極め、猛烈に勉強している。英語力は言うまでもなく、恐るべき数学の能力を持っている。インドの若者なら、安保外交とイデオロギーの問題はあるまい。日本は歓迎だろう。だが、中国の若者と違って、そこには文化と宗教の問題があり、中国の若者の移住よりインドの若者の移住の方が現場は難しいに違いない。

何より、中国には日本への憧れが前提にある。日本のブランドイメージの高さがある。両国文化には強く深い共通性がある。経済社会で生産し生活する人間としてのコンパチビリティとインターオペラビリティがある。インドとは比較にならない。それは誰も否定できない事実だろう。

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