日韓首脳会談考 - いつの日か村山談話の線で新しく正しい関係を組もう
16日、韓国大統領の尹錫悦が訪日し、二国間では12年ぶりとなる日韓首脳会談が行われた。懸案だった徴用工問題が韓国側の譲歩で「解決」にたどり着き、その延長上の産物として日韓首脳会談の運びとなった。12年ぶりの実現だから、もっと関心と注目が集まっていい政治イベントなのだが、両国ともあまり積極的な空気が漂っていない。反応は冷淡である。私も消極的に眺める一人で、これを歓迎する気分には毛頭なれない。12年前は2011年だから、要するに安倍政治が続いている間、日韓首脳会談は開催されない異常事態が続いた。もし菅政権が続いていれば、あるいは安倍晋三が暗殺されていなければ、韓国が保守政権に転換して今回のような迎合に転んでも、日韓首脳会談という友好ムードの演出にはならなかったかもしれない。(写真は共同通信)
今回の首脳会談と「関係正常化」を祝賀しているのは、①韓国の保守系と②日本のリベラルである。③韓国の左派と④日本の右派は(理由は違うが)歓迎していない。また、肯定し拍手しているのは、アメリカと、日本のマスコミ全部と、韓国の保守マスコミである。私は③の立場であり、全く歓迎しない。韓国の対日外交が右に寄り、反動化して属米方向に流れた経過を残念に思っている。韓国人の立場からすれば、今回の譲歩は明らかな売国政策であり、建国の原点たる三・一運動の精神を裏切り、韓国憲法の基本理念を逸脱する行為となるはずだ。韓国憲法前文には、「我々大韓国民は、3・1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4・19民主理念を継承し」と宣誓されている。今回の卑屈で不潔な対日妥協は憲法違反であり、韓国国家のレゾンデートルの否定を意味する。
何度も述べてきたことだが、日韓関係は1965年の日韓基本条約を止揚して、高い次元の新しい発展段階に進まないといけない。新しい段階とは、言うまでもなく1995年の村山談話で示された地平へのバージョンアップである。1965年の日韓基本条約には、日本の植民地支配に対する謝罪と反省がない。歴史認識が不全である。戦後の日韓関係を理念的に構築する基礎がない。必要な土台が欠落している。韓国国民一般からすれば、1965年の日韓請求権協定は、日本国民にとっての1960年の日米地位協定と同じであり、それは民衆が抵抗する中、軍事政権によって一方的に押しつけられた不平等条約であり、日韓基本条約と合わせて揚棄と刷新が求められるものである。韓国はその要求と展望から後退してはいけないし、日本は村山談話に還らないといけない。
復習になるけれど、徴用工問題については浅井基文が見事な整理を上げている。ブログで4年前に紹介したが、蒙を啓かれる、問題の本質的理解に導かれる国際政治学の正論と解説だった。徴用工問題にせよ、慰安婦問題にせよ、日韓の間に横たわる歴史問題については、1967年に発効した国際人権規約の国際法に依拠して解決を図らなくてはいけないのだ。第二次大戦中に日系アメリカ人に対して行った隔離政策の迫害行為に対して、レーガン政権が謝罪と補償をした前例を素直に見倣わなくてはいけない。安倍政権以前の、少しはまともだった頃の日本政府は、日本国内で提訴した韓国人元徴用工に対して「個人請求権は消滅していない」と国会答弁している。司法もまともだった。安倍政権になって急に政府もマスコミも嫌韓右翼化し、グロテスクな姿勢が前面に出た。
嫌韓右翼の論調が長く続いて現在では標準化し、支配的な国民世論になっている。テレビでは嫌韓を主張する論者しか登場せず、リベラルのはずの関口宏がその立場に立っている。この6年間の日本マスコミの文在寅叩きは凄まじく、文在寅は反日の極悪人として歪んだ評価が固められ、習近平やプーチンと同じ全否定の範疇に収まってしまった。日本の報道と世論については最早お手上げの状態で、論評のしようがない。私の関心が向くのは韓国の政治の方で、韓国が右傾化した事実を遺憾に思う。韓国はこれまでずっと健全で、日本の政治にとっての野党の役割と機能を果たしてきた。韓国が座標軸の基準で、日本の右傾化と反動化の程度を測る尺度となってきた。信頼感と安定感があった。その韓国が大きく右に傾き、安倍政治を継承する日本の現政権に接近するのは、どうにも失望させられる事態と言わざるを得ない。
韓国の中で、今回の尹錫悦の訪日と徴用工問題での妥協を支持する声が一程度あるという事実は、蝋燭デモ(市民革命)の頃の韓国社会から考えると信じられない変節と堕落に映る。なぜこうなったのか。私の想像では、二つ要因があるように思われる。一つは、CIA(NED)の工作の奏功と影響である。日本の2000年代・2010年代と同様に、韓国のアカデミーとマスコミと労働界にもその方面からの介入と改造があり、相当に左が切り崩されたのではないか。おそらく、10年前とは様変わりで中国脅威論が台頭し、反中国・反社会主義のキャンペーンが言論空間を埋めているのだろう。それに感化されて、韓国の左翼が脱構築化(ポリコレ化・リベラル化)し、日本と同じく骨のない軟体動物的な親米左翼に変身しているのではないか。日本が変わって行った屈折と転落の軌道をそのまま踏襲しているように見える。
もう一つの要因は、これは私独自の視点だけれども、韓国経済が順調に成長拡大し、他方で活力を失って萎縮したままの日本経済が指標で追い越される状況となり、韓国人の伝統的な対日意識に変化が生じた可能性が看取できそうだ。日本経済研究センターの予測では、一人当たりのGDPで韓国は2027年に日本を追い越すと報告されている。これは2年前に出た試算であり、昨年からの円安が条件として織り込まれていない。国際的なインフレと金利高の環境下で、他国通貨に対して一段安となった円の経済指標がドルベースで比較されると、以前の予測値よりも甚だしい落ち込みとなるのは必然だ。日本経済研究センターの最新の観測では、今年2023年に韓国に追い抜かれると報じられている。また、OECD調査の平均賃金でも、8年前の2015年にすでに日本は韓国に追い抜かれている。
数字の証明するところ、日本人よりも韓国人の方が豊かなのだ。私は、ブログを始めた20年前から、一人当たりGDPで日本を追い越すことが韓国にの「坂の上の雲」であると言い続けてきた。比喩の説明を唱えてきた。韓国はそれを掴んだ。海の向こうからは歓喜や喝采の声は聞こえないが、それが韓国人にとってどれほど大きな目標達成の快挙であり、悲願の成就であり民族の勝利であることか。経済で日本に勝った。この事実は決定的に大きい。今回の尹錫悦訪日もそうだが、WBCの日韓戦にしても、韓国側に嘗ての峻烈な緊張感がない。対日ナショナリズムの先鋭なモチベーションがない。その理由は、おそらく、日本に対してファンダメンタルな敵愾心を燃やさなければいけない前提的根拠が失われたからだ。打倒日本を追求する国民感情が弱まる事情が生じたからだ。事情とは、経済的優越の事実と確信である。
自信と余裕ができたのだ。日本の凋落と衰退は、今や誰の目にも不可逆的な現象である。いずれ日本の自動車産業も半導体やエレクトロニクスと同じ道を辿ると、韓国人はそう見ている。OECDが発表した最新の教育総合ランキングでも、韓国は11位で日本は14位だ。劣後している。IT教育でも日本は韓国の後塵を拝している。英語力と英語教育でも韓国が先行している。何年経っても日本は韓国の水準に追いつけない。文化の方面を見ると日韓の差はさらに歴然で、韓国映画『パラサイト 半地下の家族』はアカデミー賞を3年前に受賞した。K-POPのBTSは3年連続でグラミー賞にノミネートされ、世界的なヒットメーカーの地位を不動にしている。昨年末の紅白歌合戦にはK-POP勢が5組も選出され、日本人もメンバー参加している LE SSERAFIM は、日本でデビューもしていないのに最初の紅白出場歌手発表となる異例の扱いだった。
K-POPが世界の音楽市場で巨大な力を持ち、恰も、70年代のブリテッシュロックの業界と才能の世界を彷彿させるような、きわめて旺盛な制作と演出とマーケティングのパワーを誇っている現状がある。市場の覇権を握っている。日本は単にK-POPを仰いで貢ぐ従属的な消費市場であり、素材を送り出す原料供給地でしかない。まるで、政治や経済や軍事や報道でのアメリカと日本の支配・被支配の関係性が、音楽における韓国と日本の関係において構造化されつつあり、この傾向が続けば、音楽エンタテインメントの領域で日本は韓国の植民地と化するのではないかと懸念するほどだ。デビュー前の全く無名の小娘 ・・ 否、美女子の皆様が、NHKの特番で賑々しく宣伝され、マスコミの脚光を集中的に浴び、他の常連歌手を差しおいて最初の紅白出場歌手に選ばれる。日本の紅白が、K-POPの新人歌手を日本で売り出すツールとして利用される。K-POP資本のビジネス・オポチュニティとして下僕活用される。
と、こんな具合に、嘗ては韓国の大人が日本に対して向けていた、大袈裟で辛辣な被害者意識や自虐的心情を、今は日本の大人が韓国に向けて愚痴る逆転になっている。経済的文化的なステータスが変化し、時代が変わり、日韓の相関的自画像が変わった。早い話が、日本と韓国との関係は、少なくとも表面的な日常の現実においては、1995年の村山談話の当時とは景観と表象が異なるのである。1995年の韓国の一人当たりGDPは日本の3分の1以下だった。日本の豊かさの3分の1のレベルだった。いわんや、1945年の光複のときとか、1919年の三・一運動の頃の図など、全く想像の外の世界という話になる。存在は意識を規定する、と言う。同じ村山談話の文言を聞いても、韓国人の受け止めの濃さや深さは当時と現在では違うだろう。植民地支配の屈辱感とか、過去の清算の必要性とか、それらの意識が以前より希薄になったのではないか。日本人の9条への感性や態度と同様に。
同じ1965年の日韓基本条約と日韓請求権協定を読んでも、韓国の高齢世代と若年世代とでは、日本の不当性に対する感受性が異なり、反発の熱量が異なるのだろう。日本の存在感が小さくなり、対日関係の重要度が小さくなり、世論の関心に占める割合が小さくなっている。そうした精神面の変化を直感する。最後に、気になっている点を正直に言うと、韓国の人々は、間近に迫っている台湾有事の問題をどう思っているのだろう。台湾有事は中国と日米同盟との間の戦争である。日本列島が戦場になるのは不可避だが、アメリカは韓国軍にも出撃と作戦参加を要請するに違いない。韓国軍は中国(山東省や遼寧省の基地)を攻撃するのだろうか。台湾有事が東アジア全体に広がり、韓国軍が中国軍と交戦する事態になったとき、おそらく、北朝鮮は38度線を超える決断をするか、韓国内の米軍基地をミサイル攻撃する挙に出るだろう。それは、普通に考えて自然な成り行きである。
すなわち、台湾有事はあっと言う間に第二次朝鮮戦争に転化する。自動的に東アジアを舞台にした第三次世界大戦に発展し、第二次朝鮮戦争を入れ子構造でインボルブしてしまう。1953年に結ばれた休戦協定が破られる。米軍、自衛隊、韓国軍に三方を包囲され、反中十字軍に攻め込まれた中国は、そのとき、75年前に人民義勇軍(犠牲者数90万人)を派遣して扶助した「血の盟友」に支援を請うだろうし、金正恩は国家の神聖な目的がリアライズする瞬間を自覚し、若い首領らしくアグレッシブに采配をとるはずだ。太宗たる初代祖父の遺命に従って純粋に行動しておかしくない。それはまさに、長州藩主の正月の儀式が本番を迎えた局面だ。韓国も流血の戦場となる。ソウルは火の海となり、戦争の推移と結末がどうあれ、夥しい死者が出る惨劇になる。同じ民族同士が再び血で血を洗う地獄となる。韓国の人々は、その危機をどこまで認識しているのだろう。
私と同じイマジネーションをどこまで共有してくれているだろう。私は、少なくとも、現状、韓国人の方が日本人よりも理性と正気が残っていると信じている。韓国の人々が台湾有事を止める動きを起こすことを期待したい。アメリカが準備し工程表を進めている戦争を止め、いつの日か、村山談話の基本線に則った新しく正しい日韓関係(日韓平和友好条約)が結ばれることを望みたい。
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