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私を見抜かないで

その人の本質ってなんだろうか。

ヤンキーが優しいところを見せたり、身体能力をスポーツに活かしたりするのを見て、「本当は良い奴なのかも」と感じる物語上の展開はよくあるし、ドンピシャではないにしても自分の学生生活を振り返ってもそういう人いたし経験がある。

騙されるな。目の錯覚と一緒だ。2つの丸を同じ大きさだと、2つの線を同じ長さだと、理性によって理解したいものだ。

ほんとに良い奴は普通ヤンキーにならないし、一点の優しさも見せない人間はほとんどいない。だから時々良いことするヤンキーは単に少し良いところもある悪い人なのだろう。たまに活躍するからといってジャイアンの普段の暴力性が彼の性質ではないとは言えない。

では、酒を飲んだときに現れる人の振る舞いはその人の本質だろうか。理性の機能が弱まったとき、人に迷惑をかけたり、泣いたり、笑ったり、暴力的になったりすることがある。酔ってもある倫理観を保っている人もいると思う(そういう人は単に肝臓のアルコール分解能力が高いのかも)。

理性の、外面の仮面を外したときに現れるそういう行動は、その人の本質が垣間見えたとすることもあるけど、私はそうではないと思う。

もちろんそれもその人の一部で、彼の中に入っているものだろう。しかしたまに良い事をするヤンキーがいい人というわけではないように、酔ったとの行動は普段の姿を覆すようなものではない。

みんな内面に外側とは違う性質は抱えているものだろう。でもその内側こそがその人そのものというわけではない。その内側を結局どのように行為として外部にアウトプットするかというのがその人の選択であり、意思であり、本質なんじゃないかと、私には思われるのだ。

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