肌のアンチエイジング広告を見た

成長と老化はどう区別されるか。

命は生まれてからは死ぬまで一本道であるから、老化は誕生の瞬間から始まるということもできる。

ようは、死ぬまでの身体的・精神的な変化のうち、生きるのに都合が良くなる部分を成長、不都合な部分を老化と表現しているだけだろう。だから「〇〇歳くらいからは全てが老いる方に切り替わる」とかいうような話ではないはずだ。たとえば皮膚は赤ん坊の時をピークとして劣化していく一方だろうし、体全体のフィジカルなパワーはふつう二十代の半ば程が頂点だろう。

ここで思うのは、自分が今、老いているかどうかは自分で決められるということだ。

自分の肌だけを見て、「私は老いてしまった」と嘆くのは簡単である。しかしそれではその人生はずっと下り坂ということになる。成長を続けることに目を向けたが面白いと思う。

武井壮は、ほとんど50歳なのに、身体のコントロールやトレーニングを続けた結果、運動の練度を上げ続け、フィジカルが衰えても信じがたい水準のパフォーマンスを保っている。運動の技巧において彼は前進し続けてきたという。

道を下るのが簡単なように、「老いてしまった」で片付けるのは楽だ。普通の人が武井壮になれないのは、自分が成長しているかどうかに無頓着で、自分のどの要素なら今からでも伸びるのかということにも気づかないからだからだろう。

成長することは難しい。成人するまでの半自動的に思われる体の成長に関しては、親が努力して、死なないように面倒を見たり、食事を与えているから成長する面が大いにある。だからつい、成長も老いも自動的なもののように感じられてしまうが、そうではない。時の流れに身を任せるだけでどんどん深みのある老人になることはまずないと思う。

身体に限ったことではない。というか、やっぱり知性こそが最も老いを免れうる性質のものだと思う。私は自分の知性はなんとなくでも磨き続けたいと思う。私の場合、使いこなせるかどうかはともかく普通の寿命ならあと60年くらいの時間がある。これはすごいことだ。

肌の老化などは一旦置いておいて、そういうふうに自分を捉え直してみてはどうだろうか。

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