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今更カルテットを見始めた(1、2話)

 前々から見逃してたなと思っていたドラマを見た。数年前にやってた「それでも、生きていく」は当時の自分にとってあまりに重い話に感じられて視聴を断念していた。そのときから、坂元裕二さんのドラマを勧められてもちゃんと見ていなかった。でも「anone」を見て、こないだの「スイッチ」とか「Living」を見て、「あ〜カルテットも面白かったんだろうな。エンディングが視聴者に媚びすぎだぞと斜に構えていたけど」と思った。考えたら逃げ恥を前にすればどんなエンディングも媚びすぎているということは無いのかもしれない。

 で、アマプラにいきなり入ってたんでこれは好機なりと嘯いて卒論から逃避するように二話まで見てしまった。面白い。

 なんとなく分かっていたことではあるけど台詞回しの印象からかかなり演劇ぽい雰囲気のあるドラマで、役者さんたちも気合いの入った感じのお芝居してる。松田龍平は松田龍平だったな。すてき。

 ちょっと良いもの見てる気分になれるのが不思議。宮藤官九郎のお話も大好きだけど、あれらとはまた違う魅力がある。

 すごく興味を惹かれるのは、話がどう転がっていくのか想像つかないこと! ふつうのドラマ、たとえば今やってるのだとなぎささんとか404とかは、一話目、なんなら予告編を見ればだいたいどんな関係性の人がどういう背景を抱えてどうなっていく話なのか、なんとなく見えてくるものだ。もちろん必ずわかるわけでは無いし、いくつかの展開の可能性から絞れないことも多いけど。断っておくとこういうふうに「予想がつく」ということはその話に深みがないとか、面白くないという意味ではない。どういう物語的な流れを持つ世界なのか、分かった上でディテールやひねりに唸ったり、面白がったりするものだと思う。

 しかしこのドラマはドラマの持つ物語的な方向それ自体が分からないサスペンス性を持っている。

 たとえば、冒頭謎のおばちゃんが満島ひかりに「この人と友達になって」と松たか子の写真を渡したことと、カラオケでのちのカルテットドーナツホール(このネーミングもいい。詳しくは本編を見てください)のメンツが「偶然」出会うところを照らし合わせると、「この物語で起こること全ては冒頭の謎のおばちゃんが仕組んだことが前提に展開する」という予想が立てられる。「まだ描かれていないけど、他の松田龍平と高橋一生もおばちゃんに同じように声をかけられたのだろう」と想像するわけだ。でも、どうやらそうじゃないっぽい。

 とするとおばちゃんは黒幕ではなく単に登場人物の一人、作中の思惑の一つでしかなくなり、物語全体を貫く筋道はまた不透明になる。このようにしてどこに話が着地するのか全く想像できない浮遊感がドラマにずっと漂っている。面白い。

 あと演出で面白かったのが、四人が演奏前にする仕草。松たか子は結婚指輪を右手にはめなおし、松田龍平はメガネを拭き、満島ひかりは裸足になり、高橋一生はシャツの首元を緩めた。めっちゃ示唆的でワクワクした。あんまり露骨なのでミスリードの可能性もあるけど、指輪はやっぱり旦那の不在を象徴してるだろうなと思う。

 メガネを拭くというのは物事をよく見るってことだろうか、二話目でメガネが割れたタイミングから考えると他人と自分との間にある心の壁みたいなものかも。Mummy-Dに追われる高橋一生が束縛から逃れるように首のボタンを緩めるのも分かる話だ。(パンツ履かないみたいな話も関連しそう)

 意外とまだ何も語られていないのが満島ひかりで、おばちゃんの内通者ということしかわからないので、素足に何の意味があるかもわからない。

 次が気になる〜〜

 

 

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