とほほ、あの頃は

 私は幼い頃から現在に至るまで東京都のK市に住んでいる。というと、東京って区じゃなくて市もあるんすか、みたいに聞かれることがたまにある。自己紹介する際にも、ほとんど埼玉のような立地で、とあらかじめ説明することが多い。

 大学受験の浪人の期間にK市のT丘から、同じ市内でU園に引っ越した。T丘の家は都営の集合住宅、まあ団地で、そこには小学校の同級生もちらほら住んでいた。同じ場所から同じ学校に向かい、また同じ場所に帰る割には、仲の良い友人はいなかった。むしろ互いに距離をとっていたとも言えるかもしれない。

 団地の向かいには小さな公園があり、「ゾウさん公園」と呼ばれていた。象をかたどった滑り台があったことからそう名付けられたのだと思う。私に物心がついた頃には兄やその友人たち、親もそのように呼んでいた。

 今その公園に訪れても、とうに撤去されて象の滑り台はない。

 先日、日頃の運動不足を誤魔化そうと思い立ち散歩をすることにし、玄関に置いてある不織布のマスクの箱から一枚を取り出し外に出た。

 団地に住んでいた頃、特に私が中・高校生のとき、冬にはこういう不織布の使い捨てマスクを毎日身につけていた。受験を控えるような時期には、インフルエンザや風邪を予防する意図がもちろんあったが、私にとってのマスクはどちらかというと文字通り仮面だった。当時は感染症対策というより、正直なところ、顔を隠したくてマスクをしていたと思う。記憶が正しければ、周りにもそういう感覚の人は多かった。

 大学に入ってからはあまりマスクもしていなかったので、一昨年の冬などはマスクをつけると、その独特の匂いから、「中学校や高校の時の自分の気分」みたいな記憶が曖昧に蘇るのだった。

 近頃は頻繁にマスクをつけているので、そういうことを思い出すことも無くなった。おそらく次に久しぶりにマスクを付けたときに思い出されるのは、現在の私の気分ということになるだろう。それがどんなものなのかは、今の自分には分からない。

 私と両親とが三人で今住んでいるU園の家は、前は医者が住んでいたという中古の一戸建てで、私が通っていた市立第六小学校とそのすぐ隣の市立第二中学校の裏手にある。つまり散歩で今の家から前に住んでいたT丘の団地まで歩くと、ちょうど通学していた当時の帰り道に重なる。

 センチメンタルな気分に浸ろうかな、とか思って学校の南門に向かった。当時の私が利用していたのは今の家から近い北門ではなく南門だった。学校の北門の看板には、敷地内を関係者以外が通り抜けると「場合によっては通報しまっせ」みたいなことが書いてあるので迂回した。

 家を出て北門を背に歩き、S街道に突き当たると、道の向こうにくら寿司が見える。その脇の道を奥へと進んでいくとK川があり、そちらはそちらで陸上部の頃に夏休みの練習で走らされたり、晴れ続きで枯れた川を、友達と延々と遡って歩いたりした思い出があって良いのだが、今回は右折した。

 右手にエネオス、デニーズ、あさひ自転車を見ながらS街道沿いを歩き、信号を渡って右折するとこの道が右向きに湾曲しており、このまま進むと、家からぐるりと回った形になり、小中学校の南門に通じている。右折するのに信号を渡る必要があるのはこの道は進行方向から見て左側にしか歩道がないため。

 車道を挟んで小学校の校庭にあるブランコを眺めた。四つのブランコの座面が二つ一組で鎖の部分で結んであり、使えないようにされているのがフェンス越しに見えた。

 学校を通り過ぎ、さらに進むと右手に見知らぬセブンイレブンがあった。ここは普通の家屋が並んでいる場所のはずだった。

 通学時は毎日のように歩いていた道に、このような大きな変化があったことを今の私は知らなかった。駐車場もあるしっかりしたコンビニだった。「万物は絶えず変化する。」そんな言葉が頭に浮かんだ。どこかでそういう言葉を聞いたことがある気がした。

 そのまま道なりに進むと少し広い道に合流する。そこから左折してR通りへ。このまま進むと右手に私の住んでいた団地が見える。

 あの頃、いつも同じ人と通学していた。彼とは幼稚園の頃からの付き合いで、ほとんど出会った頃から将来はロボットを作りたいと彼は言っていて、今ではロボットを作る研究室にいるとか。変わらずにいるというのは難しいことだが、実現する人もいる。

 私は今何者だろうか。わからない。就職面接で君は何者で何ができて何がしたいのかと問われ、いつも抽象的な答えしか返せなかった。懸命に具体例に落とし込むほど、自分の実体とはかけ離れた、欠けた像を提示している気分だった。私は小さい頃に何になりたかったのだろうか。

 通学路では二人で並んでいつも話しながら登校していた。前に歩いている人に声をかけたり、かけられたりすることもあった。中学生の時なんか相手が女の子だとちょっとドキドキしてたような覚えがある、などと考えていたら団地に到着していた。思っていたより近く感じた。そして何もかものスケールが少し小さく見える。幼少期は見上げていた可燃ゴミ入れが、見下ろす低さにあった。そして。

 ゾウさん公園に象がいた。象の形のピンクの滑り台。これは記憶では撤去されたはずだった。なぜ今目の前にあるのだろうかと不思議に思い近づいてよく見ると、そこまで古びた様子ではなかった。

 とすればセブンイレブンと同様に、私が見ないうちに新たに作り直されたということだろう。

 しかしそれにしては少し年季が入りすぎているようにも思えた。持ち上がった前足のピンクと足裏の赤に近いオレンジの塗装は、既に剥げて素材のF R Pかなんかが露出している。

 もしやと思い下に潜り込み滑り台の裏を見ると様々な落書きの中にマジックで書かれた五芒星があった。

 これは私が小学校の低学年の頃に、同じ団地に住んでいた地元の少年野球チームに所属する同級生が書いたものに違いなかった。私は今これを見てはっきりとそれを思い出し、これがその時のものだと確信した。

 この状況で考えられることは、私の「ゾウの滑り台は撤去された」という記憶が誤りであるか、今見ている五芒星が私の記憶しているものとは別物ということだ。最近別の子供が書いたものが偶然似るということはありえない話ではない。このとき。

 市内のどこかのスピーカーから放送で、不審者の目撃情報が増えている、というアナウンスが聞こえた。これまでU園の家にいて、そんな放送を聞いた覚えはなかった。

 ところで今、団地の目の前の公園で滑り台に潜り込んでいる私は傍から見て不審者に見えるのではないだろうかと思った。無用に疑いをかけられても仕方がないので、急いで立ち上がろうとした。

 したところ全く不注意なもので私は滑り台の裏側に頭を強く打ち付けてしまった。



 あたりを見渡すと私はZ園の敷地内にいた。ここは団地のすぐ近く、斜向かいの関係にある施設だ。昔はハンセン病の方々がここに住むことを強制されていた。今ではハンセン病資料館などができて、当時の歴史の一部を窺い知ることができる。自由に出入りできるようになっていて、花見ができる場所やちょっと腰掛けて休める屋根のあるスペースなどがあるが、今もここで暮らしている方もいる。かの宮崎駿も時々訪れるというが私自身は目撃したことはなかった。

 というのは今は関係なく、問題なのは、なぜ私が突然、しかも大変息切れしてここに突っ立っているのかということだ。

 最後の記憶といえば、滑り台に頭を打ったことだ。いや、そのあと近づいてくる足の影を滑り台の向こうに見たような気もする。気絶した私がその人によってここに運ばれたのだろうか。まあ、それは動機が不明だし息切れに説明がつかない。それに記憶の曖昧な瞬間に見た影を根拠にするのは難しい。

 ということは私は何かの事情で自分の足でゾウさん公園からこのZ園まで走ってきて、突然その肝心の事情をすっぽり忘れてしまったということだろうか。そんな状況は考えにくいことではある。

 白髪の老人が声をかけてきた。つい身構えてしまった。しかし単に私を心配して声をかけてくれたらしい。少し話を聞くと、彼曰く私はZ園をぐるりと囲む林を駆け抜けて外から敷地内に入り、後ろを気にしてから一息ついていたが、非常に疲弊した様子で明らかに緊迫した様子だった、とのことだった。

 「私は何かに追われているということだろうか」と思わず口にしたところ、老人に「それはあなたにしかわからないことでしょう」と応えられた。しかし自分が何かに追われるというのは心当たりがなく信じ難かった。老人は家が近いから私を匿うこともできると提案したが、迷惑をかけるし、実際この老人のこと自体をどれほど信じて良いのかわからず、断った。

 私は近くの四方が低い衝立で囲まれた腰掛けられるスペースに身を潜め、自分のいた辺りに誰かが来るかどうか見て確かめようと思った。本当に私を追う人がいると仮定すると、ゾウさん公園からZ園までの距離から考えて、まもなくここに辿り着いても良いはずだ。というか老人と話していた時間を考えると、もし追ってきていたら既にこの辺りにいないとおかしくないだろうか。そう考えていると突然偏頭痛のような痛みが頭にあり、もしや、と思った。



 昼すぎだったはずが、陽が沈みかけていた。腕時計を確認してみても、明らかに時間が経過していた。またもや記憶が飛んでしまったらしい。私は自分がスマホを握っていることに気づいた。開いてみるとメモアプリが立ち上がっており「男、二十代、パーカー、逃げる」とだけ書かれていた。

 私はいよいよ強く不安を感じた。このメモは私が今覚えていない間の時間に私自身で書き込んだものだろう。つまりここに身を潜めながら「私を追う人物」を目撃した私が、私のために残したメモだ。

 とするときっかけや理由は忘れてしまったが私が息切れするほど走って逃げる必要のある状況であること、それが今も続いており、この男から逃げなくてはならないことが、このメモによって証明されてしまった。

 周りにそのような人影がないことを確認してから、先ほどまで老人と話していたあたりの場所に戻ると、人が倒れているのが見えた。急いで駆け寄ると、それは人ではなく、破れて適当に打ち捨てられた衣服だった。そしてそれは先ほど私に声をかけた老人のものに違いなかった。

 気配を感じ振り返ると遠くに男の影が見え、私は何かを判断するよりも前に駆け出した。



 目の前に美女が座っていた。私も座っていた。ここは家の近くのデニーズの店内らしかった。「いや、ほんと偶然だね。声かけてくれなかったら気づかなかったよ」美女がそう言った。これはどういうことだろうか。男の影を見て駆け出したところまでしか記憶がなく、だいぶ離れたファミレスに入店して食事は終えているような雰囲気だ。記憶が飛ぶ時間が伸びているのかもしれない。陽は沈んですっかり夜だった。

 道に面した大きな横長の窓ガラスから外を見る。「パーカーを着た男」というのはチラホラとは見えるが、どれも私を探しているようには見えなかった。

 というかこの美女は誰なのだろうか。見れば見るほど、ちょっと尋常でないっていうか、とんでもなく魅力的に感じた。「全力で口説いてみようかな、ダメもとで」と刹那的に考えていた。

 そして思い出したのはこの女性は高校の同級生だということだった。加えて当時私はほとんど女性と関わりがなかったが、中ではそれなりに会話をする機会もあり、ひょっとすると好意を寄せられているかもしれないと、色恋沙汰に疎いながら感じていた人だった。しかし、当時の彼女はなんというか、ここまで異様に魅力的な感じではなく、私はむしろ距離を置くようになってしまったのだった。

 だとするとまるっきりダメもとでもないかもしれない、だって昔好かれてた、相手からすれば私を好いていた記憶があるわけで、ひょっとするとこのエゲツない美人と、という極めて品のない計算を私は無意識にしていた。

 そわそわしていたら、足に何か硬いものがあたり下をちらと見ると大きなキャリーケースがあった。

 「旅行してんの」と私が聞くと、彼女は素晴らしい笑顔で「今住んでるのは、ちょっと地方のほうで、今日は仕事の都合でこっちきたんだけど、ちょっとこの辺りが懐かしくて寄ったところで」と答えた。ということはどこかに宿をとっているのだろうか、なんとかそこに行けないか、と考えた。しかしすぐに、私は一瞬でもその言葉をそのまま受け止めた自分の愚かさに自分自身呆れてしまった。

 私の通った高校はここから電車で四十分はかかるし、彼女は学校からは私と反対方向に帰っていたはずだ。つまり縁もゆかりもないはずの彼女がこのあたりを懐かしむ道理はない。ではなぜこの辺りを懐かしく思うのか。あるいは私にすぐにボロが出るであろう嘘をつくのか。考える必要があった。

 キャリーケースのジッパーから白い毛が覗いているのが見えた。老人の白髪を思い出し、ハッとしたが、私は咄嗟に表情には出さないよう気をつけた。

 私は何食わぬ顔で席を立とうとしたがデニーズのソファが粘度の高い液状になり体が沈みこんだ。これは一体どういうことか。手をつこうにも手の方がソファの中へのめり込んでいってしまい体が持ち上がらない。

 このままでは私はデニーズK市店に飲み込まれてしまう。というか、このK市店って既に閉業してなかったっけ。

 助けてくれと伸ばした手を彼女は掴んだ。私が安堵したのも束の間、彼女は当然のように私の指で、どこからか取り出した私のスマホのロックを開け、そして私の手を離した。彼女が私のスマホで誰かに連絡しているのがソファに飲まれていく視界の奥に見えた。

 そしてまた記憶が。

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