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考えろ!然るのちに感じろ!

たいていの人は自分が今何を考え、行動しているかということについて、何も考えていないと思う。

私たちは何かを考えていることを自分で意識することができるけど、これは意識というものの存在を考える根本みたいなもので、言うなれば人間とか、個人の存在の根拠みたいなものとも言える。

しかし、多くの人が、今自分が何を考えているかを忘れ、反射的に行動を選択しているし、それ故にほとんど無意味に悩んだり怒ったり、喧嘩になったりしているように見える。


例えばね、車の運転中によく見かけるのですが、赤信号で停止した車が、信号が変わる前に、「もうちょっと前行けそうだな」ってな具合にゆるると前に停まる車に距離を詰めている状況。これ、何も考えてないですよね。そこで前に詰めることで、誰かが助かる状況ならともかく、基本的に、そのように前に詰めても良いことは一つもない。微塵もない。まず赤信号なのだからそれ以上前に進めないので無意味だし、発進・停止は徐々に行う方が燃費が良いが、前の車が適度な車間距離まで進むまでに、自分の車も加速しようとしたとき、停止時の車間距離が詰まっていると前の車が発進したのを確認してからアクセルを踏むまでのタイミングが遅れるので、結果的により急加速しなければならない状況になる。

何の利点もないのにただ漫然と「前空いてるな」「進も」と考えるからこういうことをしてしまうわけだが、自分がそのように「漫然とした考えに基づいてブレーキを緩めている」ということにメタ的に意識が向いていればそういうことはしなくなるだろう。


あとね、「何だって?」とか「もっかい言って?」とか人に言われたとき、その直前の自分の発話の、一番最後の部分だけ繰り返す人、考えていない。

そういうふうに聞き返される場合、後半だけ聞き取れている場合はあっても、前半だけ聞き取れるということはまずないだろう。だから最後のところだけ繰り返すことで済まそうとしている人は、「同じテンションで同じことを二度言うのは恥ずかしいし、違和感があるし面倒だ、文末だけで何とか伝わんねえかな」と考えて横着した、結果時に余計なやりとりが増えることになる。語尾が尻すぼみ的に口籠るパターンもなくはないが、そういう時は違う聞き方をされるはずだ。今なんて言った?というニュアンスの問いかけは、そもそも何の話をしていたのか分からないからするのであって、たいてい語尾を繰り返してみても、何が?とか何を?みたいな主格を問う質問がまたくるし、相手からしたら「いやむしろそこしか聞こえてなかったから聞き返したのよ」と思っていることだろう。


インターネットとかでは言い争いが絶えないものですが、まあほとんどは考える前に感じたことを表明するからキリがなくなっていることが多いように思う。「自分に正直」みたいな言葉の表現ってあるけど、それはそんなに簡単なことではない。「自分が何をしたくて、人にどうして欲しいか」分かってないし、分かってないことに気付いてもない人はとても多いはずだ。注意深くしてても自分もよく忘れてしまう。

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