ヨンゴトナキオク5 2020.9.8

「歌」を歌うとは

まったく「4の付く日に書きます」と言いながら、つい反故にしてしまうていたらく。ま、「なんでや!」と怒る人もないだろうし、書きたいように書けるのがいいところで、何も悩むほどのこともなかろうと思ってみたり(笑)
というわけで、しばらくいい加減な感じで進むと思われます💦
ただ、今回も偶然ながら、4にご縁のある数奇なテーマでございます。それを4の倍数の8日にお送りします(笑)

高田三郎という名前を聞いてすぐに『水のいのち』と答えられたら、合唱に詳しい人。というか、合唱をしている人なら絶対避けて通れない作曲家です。キリスト教に裏打ちされた哲学ともいえる深い精神性をメロディに込め、自ら指揮者としても活躍されたとも。かくいう私も、最初に入団した女声合唱団で初めて出合った合唱組曲が『水のいのち』でした。が、当時はテクニックも今以上に未熟で、歌詞の意味もそこまで深く読み取ることができず、何とも難しい構成と重々しい作風に翻弄され、ハーモニーを味わうどころではありませんでした。ただ、独特の節回しや言葉の持つ世界観に惹かれ、深く記憶に残りました。そう、一度歌ったら忘れられないのが高田三郎なのです。どの曲もどことなく似ています。何故かなあと思ったら、作詞が同じ人だからです。その人が高野喜久雄という方でした。余談ですが、なんとこの曲、1964年に発表されたんだそうです。お~ここにも4が‼(笑)

混声合唱作品として再び『水のいのち』と向き合ったのは、最初に歌ってから10年ぐらいたった頃。女声だけの時と違い、男声の低い音域が加わることで、音色はさらに深みを増しました。私自身、人間的にも少しは成長したのかもしれません。今度は高野喜久雄の詩の世界を味わうことで、この作品の素晴らしさと難しさを再確認しました。この時の演奏がこちら。

https://youtu.be/ROjt2ZYSuaM

詩人の高野喜久雄は高校の教壇に立っていた数学の先生でもありました。私は全くの文系人間ですが、このように理系なのに文学にも優れている人はそれだけでも心の底から尊敬してしまいます。自然の中に人の営みの深淵を見つめる独特の言葉選びは、一見難解ですが、実はとても普遍的で、だからこそ、合唱人としてこの詩と高田三郎との見事な化学反応によって生まれた豊かな音楽性に触れると、感動でただただひれ伏すばかりなのです。(ただ、何曲かは本来の詩から歌いやすい「詞」として書き換えられているそうです)

とか言いながら、本当はまだ何もわかっていないのかもしれません。たかだか『水のいのち』ぐらいでわかったようなことを言うな! と思わせることが9月4日にあったからです。

合唱をしていると、自分の声の問題にぶち当たります。ぶち当たらず、順風満帆に合唱を味わい尽くしている方がいるとしたら、本当にうらやましいです。昔から歌うことが好きでしたが、声が出るというだけで自己流で歌ってきたツケはすぐに来ました。そういう時にはだいたい、「発声」をみていただく専門家の教えを乞います。発声というのは厄介な代物で、その門をたたいたからといってすぐに解決するようなもんじゃありません。一歩進んで二歩下がり、三歩進んでは五歩下がるような、途方もなく辛い、それこそ人生修養そのものです。だから、プロの声楽家がどれだけ勉強されて高い技術を修得されているかをつくづく納得するのです。

私の先生は、廣澤敦子さんとおっしゃいます。メゾソプラノ歌手として毎年リサイタルをなさりながら、関西では数少ないプロの混声合唱団「タローシンガーズ」でアルトを担当。団のコンサートマスターでもあり、また本来はアルト2人バス2人ながらも混声合唱のレパートリーを4人で歌う「噂のシンガーズ」ではソプラノも担っておられます。個人レッスンでは『ソニアの会』という名前で専門家・アマチュア問わず束ねてくださっています。習い始めてかれこれ、8年ぐらいなりますか。本当に歩みののろいカメな私に根気づよく向き合ってくださっています。

そう、あれは2月24日。横浜港のクルーズ船の中で留まっていた日本の新型コロナウィルスがいよいよ市中感染し始め、さまざまな行事やイベント、コンサートが軒並み中止に追いやられ始める中で、先生は開催が決まっていた年に一度のリサイタルを決行されました。あの日を境に、いよいよ音楽の世界からパタッとコンサートが消えました。今思えば、大阪の感染者数はまだ可愛いものでしたが、3月に入るとコンサートどころか、レッスン、練習の類も「してはならぬ」状態に陥っていったのでした。そして突入した非常事態宣言。音楽と音楽家にとって受難そのものの数カ月間でした。

そんな廣澤先生がそれ以来194日ぶりにいよいよ演奏活動を再開されるというので、伺ったのが9月4日のミニコンサートでした。『あこがれ』と銘打ったそのコンサートでは、前述した噂のシンガーズも賛助出演。お得意のア・カペラ作品を数曲ご披露されましたが、メインは先生の独唱でした。それが、高田三郎の作品だったのです。『ひとりの対話』という6曲からなる組曲。高野喜久雄の詩に作曲した独唱曲としてはこの作品だけだそうです。高野作品には『こがれ』という言葉がよく出てきます。求めてやまない思いというのでしょうか。しかし、つかみきれないものでもある。この組曲にはそんな自問自答がてんこ盛り。たゆたうような高田三郎の音楽にもそれが溢れていました。Youtubeで検索してみると、終曲である『くちなし』が一番有名でよく歌われています。私も聴いたことがありますが、そのほかの『いのち』『縄』『鏡』『蝋燭』『遠くの空で』は初めてでした。

コンサートを再開といっても、新型コロナ感染防止のために客席は20名分。検温と手の消毒、マスク必須というスタイルで、客席では私語は厳禁。40分ほどの演奏が終わると、観客も静かに会場を後にせねばいけませんでした。それをその日に2回公演で行おうというのです。私は1回目の13時公演を聴きました。

とにかくも、高野喜久雄の詩の世界に打ちのめされました。それも、コロナ禍の今聴くことに意味深さを感じる詩でした。例えば、『鏡』ではこうです。

何という
かなしいものを
人は創ったことだろう
その前に
立つものは
そのまま
己の前に立ち
その前で
問うものは
そのまま
問われるものとなる

これを、高田三郎のあまりにも難解なメロディに乗せて歌うのです。しかも、難解さを微塵も感じさせず。一字一句が聴く者の耳にクリアで優しく、しかも重厚な説得力を持って語りかける。今までどんな作品でも自分のものとされてきた廣澤先生のまさに面目躍如たる演奏でした。「歌は語り」だとよく言われますが、語りそのものの歌でした。胸をつかまれるほどの感動でした。『くちなし』以外の独唱演奏がyoutubeでは見受けられませんが、それもそのはずです。プロと言えどもこの難曲たちを高いクオリティで全曲演奏するのがどれほど大変なことか。廣澤先生はそれを2回公演で歌われたというのですから、もう驚嘆です。それほどまでにのめり込まれたこの作品を、実はあさって東京でも歌われるそうです。『日本歌曲の今』という演奏会シリーズの『高田三郎・没後20年の今』という回です。日本歌曲の伴奏者の第一人者である塚田佳男氏のピアノで。まさしく2月24日のリサイタルでの伴奏者でもあります。4日のミニコンサートで伴奏なさった青谷理子さんとのコラボレーションも素晴らしかったですが、東京でもきっと絶賛されることでしょう。

ここまで読んでくださって、「どんな演奏だったんだろう」と思ってくださった方に朗報です!なんと、『あこがれ』コンサートが9月13日正午より20日23:59まで動画配信されます。あの時、2回で40人しか聴いていないなんて、もったいないと思っていましたから、これはぜひともお知らせしたい!有料ではありますが、高田三郎と高野喜久雄の世界をきっと堪能していただけると思います。デジタルチケットの販売期間は9月12日(土)23:59までです。こちらからお入りくださいませ。

https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01388u116wr0j.html

とにかく、私がシノゴノ言うよりは「百聞は一聴にしかず」でございます。メゾソプラノならではの温かくも強い歌声をお楽しみください。長らくのご清聴、ありがとうございましたm(__)m

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