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ヨンゴトナキオク49  2022.2.4

カレン・カーペンター 
~永遠のヴェルヴェットヴォイス~

小学2年生の春、父が建てた家には、応接間という名の洋間があった。今思うと、家の中で唯一の洋室だった。6畳ほどの広さに深緑色のソファと同色の肘掛け椅子2つにテーブルの応接セットと木目がきれいなパイオニアのステレオを置いた。後年はそこにアップライトのピアノやエレクトーンも入ったっけ。絨毯は赤。それにフリフリの電気スタンド。ザ・昭和な設えだけと、それまで住んでいた借家とは全く違う、お洒落な空間が、私は大好きだった。

とりわけステレオは、10歳で洋楽に目覚めた私が家族の誰よりも独占していたように思う。中でも好きだったのが、カーペンターズだった。シングルだけを集めたアルバムや、ベスト盤を手に入れ、それこそ擦り切れるほど聴いた。聴くだけじゃなく、レコードに合わせて歌った。カレンの歌声に合わせて歌詞カードを見ながら発音を耳コピ。子どもの頃から高い声が苦手だった私には、カレンのキーがピッタリで、それこそレコードもレコード針も擦り切れるほど聴きながらよく歌ったものだ(ただし、実はカレンは3オクターブの声の持ち主だったそうだ。ひえ~)応接間は、家の真ん中にあり、掃き出し窓の両側は壁ではなく開戸(洋間側は木張り、和室側は襖になっている)で仕切られ、両側には和室と仏間があった。仏間には途中から同居していた祖母もいたはずだ。締め切られているものの、音はダダ漏れだっただろう。にもかかわらず、「うるさい」とか「やめなさい」と怒られた記憶がない。記憶していないだけかもしれないけど(笑)そんなことだったから、英語の発音はカレンから教えてもらったようなものだ。その後、マイブームはカーペンターズからバリー・マニロウに移っていくのだが…。

カレンの声は唯一無二だと思う。ひと声聴けば、カーペンターズだとわかる。兄リチャードの卓越したアレンジセンスやプロデュース力も大きいけれど、元々カレンにはソロデビューする予定もあったそうだ。それぐらい、プロデューサーも惚れ込んだ声だったのだろう。しかし、カレン1人のデビューを両親が許さなかった。何しろ、リチャードは12歳で始めたピアノがめきめき上達し、プロになれる可能性を感じた両親は、彼を音楽業界に近づけるためにコネチカット州からカリフォルニア州へと移住している。彼女自身も前に出る性格ではなかったようだが、ドラムを叩かせるとこれまたプロ並みのテクニックをすぐ身につけていく。だから最初はカレンは兄のバンドのドラマーという立ち位置だった。当時としてもかなり異色なユニットだっただろう。私の記憶でも、ドラムを叩きながら歌っているカレンの姿が結構記憶に残っている。仲のいい兄妹は、アメリカンドリームを体現するように、たちまちスターダムにのし上がっていった。しかし、1983年2月4日、わずが32歳の若さでこの世を去った。原因は、当時はまだそれほど認知されていなかった拒食と過食に代表される摂食障害という病気。あまりにも衝撃的だった。健康的で清潔な歌声とは裏腹に、カレンが抱えていた闇は深かったのだ。むしろ声の響きにはえもいえぬ翳があった。実はそこに、彼女の人生が内包されていたのかもしれない。

1969年4月のデビュー以来数々のヒットを飛ばし、日本でも人気が高かったカーペンターズ。しかし、輝かしい時代は残念ながら10年と続かなかった。1970年代の終わりごろ、音楽界を席巻したのはディスコミュージック。優しいアメリカンPOPSのジャンルは影をひそめていく。リチャードは薬物依存症に陥り、カレンはソロアルバムを制作するも、周囲の反対で発表を断念。世に出たのは亡くなってからだった。最近になって、私はそのCDをAmazonで見つけ、聴いてみたのだけど、楽曲に魅力がないこともあり、何度も聴きたいアルバムとは言えなかった。歌っているのは確かにカレン。それだけに、掛け違えたボタンのような印象しか残らない。カレンは、26歳の頃から精神性食欲不振症に苦しんでいた。デビュー当時、ほんの少し、標準体重より多いことが彼女のコンプレックスとなってダイエットを始め、結局それが彼女の命を縮めてしまったのだ。

今でこそ、摂食障害はよく知られた病気の一つだけれど、当時はまだよく解明されていなかったのかもしれない。それでも、あのダイアナ妃もそうだったし、日本では、宮沢りえに拒食症の噂がついてまわっていた。今では立派な女優さんとしての地位を確立しているけれど。そして、あの愛子さまも中学生の頃は見た目にそれとわかった。輝かしい活躍や人気の影で、女性たちはなぜ摂食障害になるのか。しっかり勉強したわけでもないので、詳細を語る知識も資格もないが、そういえば、私自身も、高校生の頃は断固として白ごはんを食べなかったり、痩せたい願望に陥ったことは何度もあった。しかし土台食いしん坊なので、いつも食欲に負け、ダイエットは成功しなかった。今でも意思の弱い自分を情けないとは思うけれども、もしかして、拒食症というのは、意思の強い、真面目な性格ゆえに陥る病気なのかもしれない。何もかも自分の思うようにはいかない中で、体重コントロールだけは自分でどうにかなるという成功体験が、摂食障害の泥沼なのだという。加えて、両親との関係に問題を抱えている人。カレンも、兄ばかりを寵愛する母親への愛情不足をずっと感じていたそうだ(リチャード自身、「我が家はハグをしない家庭だった」と回顧している。アメリカ人はハグが大好きな人たちばかりではないのだ)。その反面、母のように専業主婦として家庭を築き、母親になることを夢見ていた。なまじスターになってしまったからよけいそうだったのかもしれない。いわゆる「普通の生活」を渇望したのだろう。1980年に実業家の男性と結婚し、めだたしめでたし、となるところだったのに、彼女の稼ぎをアテにするような夫との関係はたちまち破綻をきたし、ついぞ家庭的な愛情は得られなかった。既に1975年の頃には163cmで41kgだった体重は、81年には36kgまで落ちていて、離婚を決意するころにようやく治療も始めたという。そして1982年2月4日の朝、両親の家で倒れているところを発見された。長年の摂食障害で心臓に負担がかかったことによる心不全だった。あと数時間で離婚同意書にサインをするという直前だったので、法律的には既婚のままだという。何とも悲しい結末。それでも、カレンの死や亡くなる前の姿を映すニュースがあまりにも衝撃的だったので、結果として病気としての摂食障害の社会的認知を助けたともいえる。

病気を克服し、今もご存命なら、71歳。私たちにどんな歌声を聴かせてくれたことだろうか。それが叶わないのが本当に残念だ。

『遙かなる影(Close to you) 』のピアノで始まるあのイントロ。今でも全く色褪せず、たちまちカーペンターズサウンドに引き込まれる。月日がどれだけ巡っただろう。51年たって、日本の1人の若者がそれをカバーした。藤井風。彼の弾き語りカバーアルバム『Help Ever Hurt Cover 』の1曲目が『Close to you』だ。発表が同じ5月20日というのは偶然だろうか。あれほどシンプルに原曲をカバーしながら、エヴァーグリーンなサウンドが、見事に再現されていた。今でも全く古びない。それがカーペンターズ。それがカレンの歌声。多分これからもずっと。

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