自由に溺れたブルックス
果たして自由ってそんなに素晴らしいものなんだろうかと思ったりする。
言わずと知れた名作「ショーシャンクの空に」のなかに、ブルックスというおじいちゃんが登場する(名前が分からなくて調べた)。彼はずいぶん長いこと刑務所で暮らしていたのだが、劇中ようやく仮釈放までこぎつける。刑務所を出るとそこは待ちに待った自由の世界。ところがこの人、全くシャバに馴染めず、しまいには自ら命を絶ってしまう。
刑務所に体が馴染んで、自由の世界が受けつけなかったのだろう。刑務所という小さな池の泳ぎ方は熟知していても、シャバの大河の泳ぎ方は知らずに溺れてしまったわけである。
さて、ブルックスにとってシャバは自由の世界だったが、罪なき私にとってはいまいちその実感がない。というのも、ルールだの制度だの礼儀、モラル等々をいいだけ詰め込んで束縛するココだって見ようによっては刑務所であるからだ。それに耐えかねてか、自由を叫んだりする人もちらほら見かける。が、刑務所に馴染んだ体で果たして自由など謳歌できるのだろうか。思わずブルックスが頭をよぎる。
淡水でしか泳げない魚が、大海に出たところで溺れて終いではないのか。なんなら泳ぎ方など、はなから知らないではないか。しかし、人はそれでも飛び込もうとすることをやめない。
そんな自由だが、それでも私は羨望のまなざしをやめられずにいる。だって、大海を泳げない人ばかりかといえばそんなことはない気がするのである。
今さら、そういう風に馴染んでしまっただけに、この自由という奴が美しく光り輝いて見える。
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