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好き嫌いのこと

 当たり前だが人間はひとりひとり全く違う。どこで生まれてどんな環境で育って、どんな仕事をしていて、と各々たどってきた道筋は違うのである。だからこそ各々の人生経験があって、感じ方も違う。こと同じものを見て一方「おもしろい」と思っていても、隣の人は「つまらない」と思うのは当然で、それは「今までの人生経験」という評価基準が各々違うからで、ひっかかるところが各々違うからである。 

 余談になるが、とは言いつつもやっぱり個々人は似通っていて、中学校とか高校とか仕事とか人生の道筋が違うようで似ている、だからこそ興味を持ったり、「違う」ということを気にするのかもしれないし、もしかすると全く違う存在には意外と興味も持たないかもしれない。 

 話は逸れたが、「面白い」も各々感じ方が違うようにいろんなものが公正な目で客観的に「どっちが良い・優れている」とは言い切れないものがたくさんある。「オシャレ」とか「美味しい」とか誰の目にもそうだと思えるものは案外少ないかもしれない。ときに、どれが「正しい」というのもそうで、議論こそすれど結果は確かめようがないし、これも各々の心の中に色んな「正しい」があって議論は平行線をたどる。 

 議論というのもそうで、よくテレビなんかでやっているのはエンターテイメント・見世物であると言われればそれまでだが、しかしネットでも「こっちのほうが面白い」とか手法を変えて「こっちはダサいだとか好きな奴はバカだとか」あの手この手で「改心」させようと試みる人たちがいる。この意図は一体何だろうと思うが、とにかくどうにかして自分の考えのを押し売りしたいらしい。しかしあなたと私とでは経験してきた人生が違うのである、あなたと同じ人生を歩んでいないのだから違って仕方がない。欲しがってないものを押し付けてくるという意味では押し売りだが、しかし当人はこれが「正しい」と思っているあたり、言葉を選ばずに言うと宗教勧誘に近い。改めて、こんなものに序列はつけようがない。つけようがないからこそ言い合いにもなるわけだけど。 

 先日、有馬記念があったけど、ここでも議論が重ねられていたわけである。「この馬が1番」とか「いやいやこの馬だ」とか人によって買う馬券はさまざま。ところが有馬記念の場合は、誰が正しかったか、がはっきりわかる。というのも実際に馬が走って競って、結果が出るからだである。 

 では、この「面白い・つまらない」はたまた「好き・嫌い」の言い合いは一体なにかというと、一向にはじまる気配のないレースに「これが1番だ」「いやいやこっちだ」とお互いに言い合っているようなもので、この競いようのないレースについて延々話し合っているわけである。一見、進歩がないようにも思える。 

 付け加えるなら、ときに否定的でも、各々にそれを「面白い」とか「好き」とかになるタイミングがあって、程よい干渉は必要だと思うけど、それは少なくとも上記に書いたところにはないと思う。 

 私はこれまで客観的に物事を捉えることが大切だと思っていたが、そこにも「こうであって欲しい」という主観が絶対に混じるはずで、それならいっそ「なにが好き」で「なにが嫌いか(それをわざわざ書きはしないけど)」自分の正直な感想を持つ方がいいのではないかと思ってこのようなことを書いたわけだけれど、こう発信しているという意味では不毛な言い争いに参加しているのかもしれない。 

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