見出し画像

Y:54 わからないことをわからないままに


プランデミック(Plandemic)という言葉があることを知った。知り合いがこういう動画を見せてくれた。

*と、ここに動画のリンクを貼ったのだけど、これがあると公開できないっぽい。代わりにそれについて書かれたyahoo記事

https://news.yahoo.co.jp/byline/kazuhirotaira/20200522-00179677/

先に書いておくと、私はこの動画の内容の真偽について、全くわからないし、判断をしようとも思っていない。というか、わからないのが正直なところだ。

動画の内容を簡単に言うと、今、世界で起こっているコロナウイルスのパンデミックは、ある人たちによって計画的に行われているものだという話だ。いわゆる、陰謀論とよばれるものだ。

私の率直な感想は、Netflixとかでドラマになりそうなおもしろいストーリーだとは思ったが、疑問もいくつか出てきた。

この動画を私に見せてくれた人は、博士号を持っていて、医療系の仕事をしている人だ。だから、それなりに情報リテラシーはあると思うし、私よりも、この手のことに関して詳しいと思う。

私はこの動画に対し、明確な賛否を示さなかった。いろいろ、疑問点はあって、そこを突いてみたい衝動にもかられたが、相手の性格や職業的なことも考え、「おもしろい話だね」というところで、それ以上、話を進めず、違う話題に飛んだ。もし、本気で議論し始めたら、収拾がつかなくなるだろうと思ったからだ。


私たちは「わからないことを、そのままにしているのはよくない」「疑問はその場で解決しなさい」的なことを言われて育ってきている。わからないままにしておくのは知的態度としては怠惰なのかもしれない。

この話に限らず、twitterでコロナ関係の話題を追うと、「専門家の判断は間違いだ」、「〇〇の数字で判断しなければならない」とか、まぁいろんな人がバチバチやりあっている印象だ。もちろん、言論の自由はあるし、個人が意見を表明することは悪いことではない。

ただ、2020年の5月末の段階で、コロナに関して何か結論めいたことを言うのは難しいと思う。つまり、答えはまだ出せないということだ。確かに、このような段階で、答えはこうだ!と言っておけば、後々、あの人の言ったことは正しかった、すごい!みたいな話にはなるし、未来を予測できるというのはかっこいいものだ。

一方で、現時点で答えがない事柄について、答え探しをするのは不毛な議論になりやすく、余計な分断、衝突、不安、憎悪を生んでいるようにも思える。コロナウイルスは、命に関わる問題だし、みんな解決したいし、安心したい、だから何か答えがほしい、その気持ちが答えを性急に求めてしまう。

わからないことは、とりあえず、わからないままにしておくわけにはいかないのか?

確かに「マスクをするのが大事」となったら、みんながマスクをしないと対策としての意味は薄れてしまうだろう。だから、答えを一つ、向かう方向も一つにしたくなる。ただ、それ以上に、何か一つの答えをみんなで共有しようとすることで起こる分断や衝突もコロナウイルスと同じくらい恐ろしいんじゃないかと思う。

わからないことをわからないままにすることが、いつも知的怠惰というわけではない。情報があふれる社会、ググればわかる社会にいると、私たちはいつもどこかに答え(正解)があると思い込んでしまう。それは知的傲慢にも思える。

わからないことを受け入れつつじりじりと前に進むことも、こういう時期には必要だと思う。判断を先延ばしできることも、人間の知恵だと思いたい。

Fight-or-Flight OR Wait

*twitterで"plandemic"と検索するとファクトチェックしてくださいみたいな注意書きが出る。

いつもより、ちょっとよい茶葉や甘味をいただくのに使わせていただきます。よいインプットのおかげで、よいアウトプットができるはずです!