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Y:69 詐欺のコモディティ化

*「コモディティ化」とは、高付加価値の製品の市場価値が低下し、一般的な商品になることを指す。              コトバンクより

小さい頃、「詐欺」という言葉を初めて覚えて、ちょっと自分の予想と違うことをされると「サギだ、サギだ」と言っていた。詐欺と言う言葉が珍しくて、かっこよく聞こえて、やたらと使っていた。

いつのころからか、「詐欺」という言葉が、日常的な身近な言葉になった気がする。「オレオレ詐欺」のあたりからだろうか。国からお金が支給されます的な話が出ると、すぐにそれを狙った「〇〇詐欺」が出てくる。

私の迷惑メールのボックスには毎日のように、銀行、ショッピングサイトからの請求、知らない言語の国の人から大金が当たったぞという話がやってくる。全部、フィッシングと呼ばれる詐欺だ。

昔に比べて、ずいぶん詐欺(騙し)にさらされることが増えた気がする。私は法律に詳しく知らないが、こういう詐欺というのは微罪なのだろうか。金額などにもよると思うのだけど、なんというか加害者側からするとリスクの低い(捕まってもダメージの少ない)犯罪のように思える。

私たち(騙される側)は、この詐欺があふれる世界が当たり前のようになってきている。実際に騙されなければ、それでいいじゃないかという考えもあるが、たとえ騙されなかったとしても、詐欺のあふれる世界が私たちからいろいろ奪っているとも言える。

時々、迷惑メールのフォルダの中に大事なメールが紛れ込むことがある。それに締切なんかあったりして、冷や汗をかいたことがある人はいると思う。あれも、迷惑(詐欺)メールが増えフィルターが強化される中で、本来、読まれるべきメールが迷惑メールとして扱われるがゆえに起こることだ。

時々、ニュースで郵便局員の人がオレオレ詐欺を未然に防ぎましたといってニュースになる。もちろん、防いでくれたことはありがたいことで、すばらしいのだけど、そもそも、郵便局(金融機関)の人が常に騙しが起こるかもしれないと思いながら注意して働くことは、本来の業務に費やされるべき注意力が詐欺のために消耗されているとも言える。

そう考えると、詐欺が多い世界というのは、それに騙される人や被害が少ないとしても、それを防ぐために多くのコストを払い、社会に悪い影響を与えている気がする。もうちょっと厳罰化してもいいんじゃないかと思ったりする。

てきとーなことを言うけど、昔も今も、「人を殴る」ことのしやすって基本的には変わっていない気がする。人を殴るには、殴る人は殴る相手に接近しないといけない。それに比べ「詐欺」は昔に比べ、ずいぶん、やりやすくなっているんじゃないだろうか。昔は電話や直接話して限られた相手を騙していた気もするが、今は見えないところから、網を張るように不特定多数に仕掛けるような詐欺も増えて、ターゲットにできる相手がとんでもなく増えたように感じる。

あと、思うのは殴る・殴られるだと、「殴られる方も悪い」と言われることはあまりないのに、騙す・騙されるだと、「騙される方も悪い」と言われがちなことだ。ある種の犯罪は、なぜか被害者にも非があると言われることがある。

それと同時に私たちも「詐欺」があまりにも周りにあふれ、負の価値を以前より感じない、憎むべきことと思わなくなっている(いちいち、言ってられない)のではないだろうか。

当たり前すぎて、ありがたさを忘れることがあるが、その逆で、当たり前すぎて(日常的になりすぎて)憎さを忘れてしまっているような、そんな気がしている。使い方が違うと思うけど、これ、詐欺のコモディティ化と名づけたい。コモディティって言いたいだけだ。

詐欺がコモディティ化して人々は簡単には騙されないし、多くの人は実害はないと思っているだろうが、実際は騙されないために払っているコストがどんどん増えているはずだ。そう思うと詐欺をはたらくということが、もっと社会的に憎むべきこととなっても良さそうな気がするが、現状、それほどでもないように思える。


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