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Y:29 「収斂的向上」と「拡散的向上」

Youtuberが増えた。

そのせいなのか、よくYoutubeで見かけるようになったのが「動画の作り方」動画だ。

機材のこと、撮影のこと、編集のこと、コンスタントに動画をアップするためのコツ等々を説明している動画をよく見るようになった。

How toがあふれる時代になり、みんなが質の高いアプトプットができる時代になった。全体がよい「型」に、ばぁ~と流れていく感じ(収斂的向上)。短期間でみんなが一定の質のアウトプットできるようになった。きっと全体的なアプトプットの質の総量は一昔前に比べ、かなり高くなっている気がする(セミプロが増えた)。受け手も似たような「型」にたくさん触れ、慣れて、心地よくなる。それにより、「型」はよりいい(馴染みのある)「型」として受け入れられる。

一方で、新たな切り口のアプトプットが生まれにくくなっているような気もする。多くの人が別々の手法でアウトプットの質を向上させること(拡散的向上)が起きにくい気がする。

もし、自分が作り手なら、よほどの自信がない限り、とりあえず、よい「型」をまねるだろう。そこから独自性を出すという話だろうが、一度、よい「型」を使ってしまうと自覚してない部分で引っ張られるだろう。

たぶん、収斂的向上に乗っかる方がコストは安く、時間も早く、ある程度のよいアウトプットが生み出せる。ただ、似たようなアウトプットと競争するような環境だと、抜きんでることは難しそうだ。一方で拡散的向上は「当たり」が出るまで時間がかかり、失敗も多そうだし、道中大変だろうなという感じはする。ただ、当たれば独自性があって、競争は最初のうちは避けられるのかもしれない(直に、追随され新たな収斂こともある)


みたいなことを考えついて、我らながらいいんじゃないかと思ったが、調べてみると生物の話では「収斂進化」や「適応放散」なる言葉があるようだ。

How toがあふれる時代は、みんながそれなりの物を生み出せる幸せな時代なのかもしれない。一方で、他に左右されずに独自の創造性を貫くのが難しい時代でもある。

いつもより、ちょっとよい茶葉や甘味をいただくのに使わせていただきます。よいインプットのおかげで、よいアウトプットができるはずです!