感想と批評は違う

以下の記事は、2021年10月28日にリライト版をアップしました。


感想と批評は違う。

「感想」は、想って感じたことだから、「好き」とか「嫌い」とか自由に言えばいい。ひとそれぞれ、主観だ
とはいえ、たとえば、会った人が、ちょっと嫌いだからと言って、「嫌い」と言うヤツは無礼だ。言わなくてもいいことだろう。
相手がしつこかったり、露骨にイヤな行動をとったりしたときに、「嫌い」だとか「やめてほしい」とか言うのはしょうがない。
そういうこともなく、いきなり「嫌い」と言うヤツは、まあ、心が狭くて口が軽い。
そんなことを指先だけでパチパチとおおやけに発信している人は、ただの愚か者だろう。

「批評」の批も評も、「よしあしを公平に判断して言う」って意味だから、批評も、「よしあしを公平に判断して言う」ことだ。
公平に判断するためには、主観では足りない。ひとそれぞれではない。
作品を批評する場合は、作品をちゃんと鑑賞し、客観的な根拠を示したうえで判断を告げなければならない。

「書き出しだけで判断して」、「嫌い」と思って、「先を読まない」のは自由だし、そういった感想を持つのもいいだろう。
だが、それは「批評」ではない。
繰り返すが、批評には、客観的な根拠の提示が必要だ。そのためには、作品を、偏見なしで、ていねいに鑑賞していることが前提になる。

「批評はダメだ」「批判は良くない」といった世迷い言を吐き出す人がまれにいるが、そういった人が「批評」「批判」と言っているものは、ただの悪口や暴言だったりする。
悪口はダメだ、暴言は良くない、といったごくあたりまえのことを言っているだけなのだが、言葉を間違えて使っているためにこじれている。
そもそも、ネガティブな評価をすることが「批評」「批判」ですらない。

たとえ「いまは書き出しだけで判断してさきを読まない人がい」たとしても、「それが批評の実状」ではない。「感想の実状」ではあるかもしれない。だとしても、言う必要がない場面で無粋に作者や関係者に向かって言い放つのは、そうとうな無礼な「感想の実状」であろう。

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