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「正しく怖がる」の無理さとマッチポンプ

「正しく怖がる」と「正しく判断する」

「正しく怖がる」とテレビで言っていて、ふむ、とか思ったけど、無理だ。「怖がる」というのは、自分で制御できるものではなく、どうしてもそのような状態になっちゃうものだ。

正しく判断することは(むずかしくても)可能だが、悲しんだり、怖がったりすることに、正しい/正しくない、はない。
「正しく怖がる」というのは、言葉の意味を考えれば無理な注文だ。最愛の人を亡くして悲しんでいる人に「正しく悲しみなさい」と言うぐらいに。

しかも、その「正しく怖がる」と言うメディアが、わざわざ怖がらせるために煽って(それは視聴率に結びつくのだろう)怖がらせている。
怖がらせておいて、「正しく怖がりましょう」なんて言うのは、よく言って責任逃れ、ふつうに言えばマッチポンプだ。
無責任な発言をするテレビを消して、SNSを断捨離するのが、「正しく怖がる」のにもっとも近い状態だろう。

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