1年で作ったゲームと10年で作ったゲームの制作過程の裏側を覗く「荒野へ」と「変顔マッチ」


Board Game Design Advent Calendar 2019の12月4日担当の記事です。

「荒野へ」と「変顔マッチ」

ゲームマーケット2019秋、新作「荒野へ-The Game of Tarot」と「変顔マッチ」完売しました。ありがとうございます。
好評で、3時ごろには新作完売するスピード。
欲しいのにゲットできなかったという人がたくさんいて、ほんとうに申し訳なかった。
12/7からスタートする「これはゲームなのか?展#2」会場で販売するので、ぜひ、そちらで(通販もあるよ)。

「荒野へ」10年、「変顔マッチ」1年

新作の「変顔マッチ」は、思いついて、作って、テストプレイして、少し悩んで、完成まで、およそ1年弱。ぼくにしては製作期間が短いゲームです。

変顔告知

もうひとつの新作「荒野へ-The Game of Tarot-」は、1999年に作り始めているので10年かかりました。*1999年からだったら20年ではないか、と指摘をうけました。正解です。20年です。間違えました。時が経つのは速い。

荒野へ告知



短い製作期間で完成した「変顔マッチ」と、10年もかけて作った「荒野へ-The Game of Tarot-」の制作過程を書いていきたいと思います。

「変顔マッチ」のアイデアはどこから出てきたか

まずは「変顔マッチ」。
青カードと赤カードはペアになっていて、同じ変顔が存在します。
青カードをおでこに当てて、自分以外のみんながカードの変顔をして、テーブルに散らばる赤カードから1枚選んで、当てるゲーム。

変顔マッチかんたんルール

アイデアがどこからでてきたかを書きます。

2017年春に「はぁって言うゲーム」を作ってゲームマーケットに出展。
Aなんで?の「はぁ」
B力をためる「はぁ」
Cぼうぜんの「はぁ」
D感心の「はぁ」
E怒りの「はぁ」
Fとぼけの「はぁ」
Gおどろきの「はぁ」
H失恋の「はぁ」
といった8種類のシチュエーションに、同じセリフ。どの「はぁ」を言ったのか当てる(そして当てられるように演じる)ゲームです。

「おもしろい!!」と話題になって、ジェリージェリーカフェの白坂さんか「うちからパッケージ版だしましょう」って話をいただき、「ベストアクト」というタイトルで商業リリース。

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その後、幻冬舎から「はぁって言うゲーム」というタイトルにもどして販売されています。
タイトルが変わっているので混乱させちゃいますが、どちらも基本的に同じゲームです。(お題が多少違っていたり、カードやチップの大きさや厚さが違うぐらいです)

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「はぁって言うゲーム」は、いろいろなお題があります。そのなかに、「表情のみ」というタイプのお題もあります。
たとえば、写真左側の「寝顔(表情のみ)」というのがそうです。

はぁ内容


この「表情のみ」のお題を拡大して新しいゲームができないかと考えたのが、「変顔マッチ」のそもそものきっかけです。

もうひとつのきっかけは、「はぁって言うゲーム」を遊んでくれた感想から芽生えました。
「はぁって言うゲーム」は、いろいろなところで遊んでもらえました。ゲーム会はもちろん、アイドルや声優さんのファンミーティング、YouTuberのコンテンツとして。さらに、学校や、学童施設、家族の場などでも、たくさん遊ばれて、いろいろな感想をいただきました。
とくに、学校や学童施設、家族の話での感想は、バラエティに富んでいて楽しいものが多かったのです。

が、6歳ぐらいの小さなお子さんには、ちょっとむずかしい。という意見もいくつかいただきました。
実際にぼくも、母の墓参りの後に親戚のみんなで遊んでみました。6歳から90歳がそろって、いっしょにプレイしました。
でも、6歳の子は、ひとりのプレイヤーとして遊ぶのはちょっと難しそうで、けっきょくお母さんとペアを組んでプレイしました。
どうにかして、6歳の子もひとりのプレイヤーとして遊べるゲームにならないかなー、というのがふたつめのきっかけです。

・顔の表情で遊ぶゲーム
・ちいさな子供も楽しめるゲーム
というのが、つくってみたいゲームのイメージです。

脳内にイメージしていたのは、クリスマスのCMに出てくるような家族。小さな子2人、お父さん、お母さん、変な顔をして、笑いながら、楽しんでいる様子です。

ぼくがゲームをつくるときは、「遊んでいる様子のイメージ」を大切にしています。このイメージに近づけるように試行錯誤していきます。

「変顔マッチ」のコンセプト

変顔をして、どんな変顔か当ててもらう。
「はぁって言うゲーム」のようにシチュエーションを文字で書くスタイルだと、その読解力に年齢的な力量が大きくかかわってしまう。
自分担当のフレーズが読めなかったり、理解できなかったりすると、小さい子には厳しい。
それを解消するために、文字を使わないことにしました。カードは絵だけにする。
「顔の絵を見て、その顔がどの絵なのかを当ててもらう」という大きなコンセプトができました。

「変顔マッチ」プロトタイプの問題点

最初は、「はぁって言うゲーム」と同じように、ひとりが変顔をして、他の人が当てるというルールで試作しました。
この時点で、いろいろな問題が見つかります。一番大きな問題は、「はぁって言うゲーム」よりも恥ずかしい、ということです。

「はぁって言うゲーム」も、やってることはちょっと恥ずかしい。のですが、状況を演じているので、目標があって何らかの声を出したり表情を作っているために恥ずかしさが和らぎます。
しかも、基本的に「声を出す」ので、場がぱっと華やいで、恥ずかしさも楽しさに変わります。

あと、「やって、おわった」というのがわかりやすいので、やりきって「恥ずかしー」とか言えたりすることにも救われます。
が、「変顔マッチ」で絵の顔をマネるという状況は、「変な顔をしてしばらく待つ」という状況になります。変顔をしたまま、ちょっとした沈黙がある。これが案外、ひとりでやってると恥ずかしい。
恥ずかしさが、楽しさに転換する感触がちょっと薄いのです。

あれこれカード枚数や、顔の絵を調整しながら、プレイテストを繰り返しました。

「変顔マッチ」問題点の解決

あるとき、ひとりじゃなくて、みんなが変顔をすればいいのではないか、と気づきます。みんなでやると恥ずかしくない
赤カードと青カード、ペアで顔の絵が描いてあるカードを、それぞれ1枚ずつ配る。「変顔マッチ!」のかけごえで、全員、自分の持っていカードの顔をする。その後、同じ顔をした人を指差して、合っていれば得点、というルールに変更しました。

これも、小さな問題がいくつかありましたが、全員が同時に変顔をすることで、楽しさがグンとアップしました。

解決したと思ったら新たな問題点が浮き上がる

恥ずかしさが楽しさに転換する感触ができて、大きな問題は解決しました。大きな問題点が解決すると、密かに隠されていた小さな問題点が浮かび上がってきます。
ひっかかっていた小さな問題は2つ。
1:人数が少ないとすぐに分かってしまうので最低でも6人以上必要。
2:カードを配る準備がめんどう。
カードは、ペアである必要があるので、いちいちペアを作って、シャッフルして配らなければならないのが、ちょっとした手間でした。手軽なゲームなので、この「ちょっとした手間」が痛い

ぼくは勝手にプレイコストと読んでいるのですが、プレイするための手間は、なるべく小さいほうがいい。
プレイの前にカードをシャッフルしたり、カードを配ったり、カード以外の何かを準備したり。さらには、プレイ中に、たくさんのことを記憶する必要があったり、楽しみ以外の手順が多かったり。
そういったプレイコストはなるべく小さい方がいい。

プレイ人数が6人以上というふうにガチガチに決まっている場合も、「プレイヤーを集める」というプレイコストが高くなってしまいます。
手軽なゲームにしたいので、できることなら(「はぁって言うゲーム」と同じ用に)3人から8人ぐらいまで遊べるものにしたい。
すぐ遊べて、めんどうな手間はないようにしたい

問題解決への道

この2つの問題を解決するアイデアが見つかるまで、またあれこれカードの枚数や絵を調整しながらプレイテストしました。

そう、いま「小さな問題が2つある」と書いていますが、いまふりかえって書いているから、そう言えるのです。つくっている最中は、「小さな問題が2つある」とはっきり認識していないのです。

プレイテストを繰り返すなかで、アイデアは見つかります。プレイテストをしてくれた人が、「親が当てるのは?」と提案してくれたのです。

親が、カードを1枚おでこに当てて、他の人全員がその変顔をする。そして親が当てる。
こうすることで、3人からプレイできるし、準備も楽になりました。いちいちカードを配る必要はなく、赤カードをカルタのように場にひろげ、青カードを親が1枚ずつ引くだけで場が回ります。

コンセプトとプレイイメージは変えない

こうして、最初は1人が変顔をして他の人が当てるゲームだった「変顔マッチ」は、最終的には、1人が当てて、他の人が変顔をするゲームになりました

ゲームの構造は反転したといってもいいほど変わりました。
が、「顔の絵を見て、その顔がどの絵なのかを当ててもらう」というコンセプトと、「変な顔をして、笑いながら、楽しんでいる」というプレイイメージは変わっていません。

作る途中で「コンセプトとプレイイメージを変えない」というのは大切だと思っています。ここを変えてしまうと、ゲームとしてはまとまったが、どこかで遊んだことのあるようなゲームになってしまいがちです。
問題点を解決するときに、既存のメカニクスに頼ってしまうからです。

「荒野へ-The Game of Tarot-」のコンセプト

「荒野へ-The Game of Tarot-」の制作は10年かかっています。
1999年にセガサターンでリリースしたゲーム「バロック」のディレクションをしました。そのときにモチーフとしてタロットを使ったので、タロットについてあれこれ調べたのです。
そのときに、タロットカードのゲームを作りたいと思って考え始めました。

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タロットについて調べながら、ルールを考えはじめました
同時に、タロットを日常的に使い、思考ツールとしてタロットを活用していきました。何かのアイデアを得るときにタロットを使ったり、日々の生活のなかでも気軽にタロットカードに相談するように。
そのノウハウを「思考ツールとしてのタロット」としてまとめて、2012年7月に「思考ツールとしてのタロット」というイベントを開催。好評だったので、その後、何度かイベントや講座をやるように。
そして、2014年に「思考ツールとしてのタロット」を電書化

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そこからも、日々タロットを使って、タロットを軸にずっとあれこれ思索を続けてきた結果、「タロットソリティア」というゲームができ、それが後に「荒野へ -The Game of Tarot-」なりました。

荒野へ内容

コンセプトをひとことでまとめると、「タロットを使ったソリティア(ひとり遊び)で、それが自分自身を見つめる新しい瞑想の儀式となる」です。
とはいえ、これは完成直前に、ようやく言語化できるようになりました。
それ以前は、「タロットでひとりで遊んで、遊んだ結果のカードの配置で占える」というぐらいに考えていました。

パッケージ化する必要があるのか

とはいえ、10年も考え続けていると、「タロットソリティア」をパッケージ化しなくても、自分だけが遊んでいればいいのではないか(1人プレイ用のソリティアだしな)という気持ちにもなっていました。
そもそも、自分用なら、いまのルールでもいいけれど、これをパッケージ化して遊んでもらうのはハードルが高すぎる。
抽象度の高すぎる思考ツール的な側面や、儀式性の部分、ルールの複雑さは、もっと洗練させないと、とうてい他人が遊べるものじゃない。でも、それをやる必要あるのかなー、と。

別のゲーム案と合体してしまった

だったのですが、1年前ぐらいに、@rrlorrloさんのドット絵をTwitterで見て、「あああー、この絵でゲーム遊びたい」と思って、@rrlorrloさんに絵を依頼する妄想をもとにゲームを試作。
5種のカードを並べて荒野の大地を作るゲームになり、それはそれで面白かったのですが、「あ、これ、タロットソリティアの超シンプル版みたいだ」と気づいてしまいます。
そうなると、@rrlorrloさんのドット絵のタロットカードは絶対かっこいいに違いない!と妄想とまらず。
あれこれ改善を繰り返して、タロットソリティアのパッケージ化に成功して、@rrlorrloさんに絵を依頼したのでした。

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うかつにやってみることが大切

パッケージ化するために、大勢の人に遊んでもらえるように、いくつかの工夫をしました。
まず2人対戦を入れたい。1人用ゲームは、さすがに手にとってもらいにくいだろう。1人プレイが基本だが、2人対戦もできるようにしよう。
というぐらいの気持ちで2人対戦を入れました。
1人用のルールをちょっと変えて、交互にカードを出していくようにしました。
そうすると、想像していたのよりも、だんぜん面白かったのです。
「協力ゲームだが、最後に裏切ることもできる」というおかしな勝利条件が、ちゃんと成立するゲームになりました。
もし、頭の中で、「協力ゲームだが、最後に裏切ることもできる」というコンセプトを思いついても、「それは面白くならないヤツだ」と考えて、結局作ったりしなかったと思います。
1人用ゲームのオマケのつもりで2人対戦を作って、実際に手を動かしてみたから、頭では否定しがちなコンセプトを貫けた。貫けたというと大げさです。結果としてできてしまった。

ゲームは、作って、プレイテストして、また作り直す。頭で先走しって考えて、せっかくの奇妙なアイデアを潰さない。「あー、そこはこうなってこうなるから成立しないよ」「そこはこうしないとつまんないよ」って頭で考えただけではやらないことを、うかつに手を動かして、やってみた先に、誰もが思いつかなかった新鮮なゲームがあると思います。

採算を取るという発想

10年もかけて1つのゲームを作っているのですから、正直、これで採算が取れるかどうかなんてことは、まったく気にしていません。
だいたいタロットに関する資料代で、いくらかかったのか。細身の本棚に、タロットに関する本とタロットカードが入り切らず溢れています。タロット本は案外高いものが多いので、まあ、もう、いくら使ったか計算するとゾッとしそうなので、しません。
ですから、完全に趣味だ、と割り切っています。
海外旅行に行く代わりに、ゲームを作っているのだ、と。

そもそもパッケージ化するかどうかも考えてなくて、自分で使うためのツールだったのですから。

ひとつのゲームを作る過程でたくさんのものが生まれる

とはいえ、10年も考え続けていると、タロットをベースにしたゲーム案が腐るほど手元にあります。10や20ではありません。
そのうちいくつかは、いずれちゃんとしたモノにして、多くの人に体験してもらいたいと考えています。
タロットシリーズ3部作とかにするとおさまりがいいので、3つぐらいはパッケージ化したいと考えています。

ときどき、「宣伝しないと売れない」「特定のジャンルしか売れない」「採算が合わない」「見た目がよいものじゃないと耳目を惹かない」といったようなことが言われます。
が、そんなことはないのです。
というよりも、そんなことあるのは、狭い特定の視野の中でのできごとです。
たくさんの人に遊んでもらいたいのか。採算が取りたいのか。そもそも頒布のピークはゲームマーケットに設定しているのか。
そういったことが、人によってさまざまに違っていい。し、ぼくは実際に違います。
「荒野へ-The Game of Tarot-」は、幸いプレイしてくれた人から、ハマっている!という声をもらい、たくさんの感想をもらっています。
頒布して終わりじゃもったいないと思っています。
プレイ会をしたり、新たなるチャレンジ問題を作ったり、3部作の残りの2作品を作ったり、まだまだ「荒野へ-The Game of Tarot-」は続いていくプロジェクトだと考えています。
それこそ、もう10年は続けていくつもりです。

儀式とゲーム

「荒野へ-The Game of Tarot-」の制作過程で生まれたアイデアのひとつが「ゲームであり、瞑想であり、占いであり、儀式であるもの」です。
これを儀式シリーズと銘打ち、新しい儀式(でありゲームであるもの)を行います。
それが、「これはゲームなのか?展#2」(12月7日からアーツ千代田3331で!)で行う儀式「記憶交換ノ儀式」です。
集まったメンバーで、記憶を交換するという不思議な儀式です。いままでにない奇妙な体験になるでしょう。ぜひ遊びにきてください。

記憶交換ノ儀式横2

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・オンライン講座「ゲームづくり道場」をほぼ毎月1、2回。 ・創作に関する記事 ・メンバー特典記事 ・チャットでの交流

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