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「Clubhouse(クラブハウス)」の設計思想の強さについて

いま話題の「Clubhouse(クラブハウス)」。完全招待制の音声SNS、気軽にみんなでおしゃべりできるアプリだ。

QJWebで毎月書いてるQJジャーナルの締め切りだったので、「Clubhouse」をががががーと使って記事を書いてみた。(QJWebとYahooニュースに掲載)


今回、ツイッターとClubhouseを活用して原稿を書いてみた。
情報を集め、気づいた点をメモがわりにツイート。そのツイートをベースに論を組み立てた内容を「Clubhouse」で実際にしゃべってみて、反応をみつつ細部を検証して、原稿を書いた。

「情報収集→気づきをツイート→ツイートをベースにClubhouseで喋ってみる→原稿化」という流れだ。これ、よかった。

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以下、ツイート。

#clubhouse  のいさぎよさ。#standfm がラジオをモデルとしてるとしたら、clubhouseは雑談モデルで、技術的ほぼ同じでもUIと見せ方が違うと、体験としてこんなに違うのか、って感嘆。
#Clubhouse アプリ側の思想が日本ではちょいちょい歪んじゃうところとか、いろいろ興味深い。
↑こういうとき、思想、哲学、信条だと硬すぎて、ノリ、雰囲気だとぼんやりしすぎる。作り手の思いが伝わって小さな文化になってることを指し示すいい言葉はないものか。

「カルチャー」ってどう、ってリアクションをもらう。たしかに。

#clubhouse 顔出し実名制が前提らしい。ツイッターアイコンをそのまま使ったのでドット絵にしちゃったなー。写真にしょうかなー、っても、このアイコンのほうが米光だって分かりやすい気がしちゃうんだよな、小さいアイコンだと。
#clubhouse 公と私(外と内)の境界がにじむ場が気楽に作れるので、人を結び付けることも容易だけど、排他しちゃうことも。気をつけて使う必要あるなー。

UI(ユーザーインターフェイス/User Interface)っていうと、接点、接触面というイメージが強調されて、画面のレイアウトや美しさ、ボタンの配置、使い方みたいな印象になる。
それだと使い辛い場面が多いので、ユーザー側の体験に軸足を置いた表現として、UX(ユーザーエクスペリエンス/User Experience)という言葉がでてきた。
たとえば、そのアプリで、ユーザーがどういう体験をするかっていうのは、インターフェイスだけで決まらない。
「Clubhouse」でいえば、「電話帳を使った招待」という仕組みを取り入れることで、少なくとも1人は電話番号を知っている友達がいるコミュニティとなる。
それが起爆剤となって、親しい人とおしゃべりするアプリなんだという「体験」に導かれる。これは、インターフェイスというよりも、仕組みによってExperienceが生じた例だ。

UXという言葉も場面によっては使い辛い点があるのは、ユーザーの体験というと、ユーザーが使っているそのときの体験にフォーカスがあたってしまう。「Clubhouse」を使ってるときの感覚に注意が向けられるが、それ以前の「Clubhouse」に入る前の招待制であることや、電話帳ベースで親しい人がいるコミュニティであることは、抜け落ちてしまいがちだ。

おそらく、その部分のキーを握るのは、どのようなカルチャーを作るかという設計思想だ。

そういう視点でみると「Clubhouse」は、設計思想がむきだしで、興味深いサービスだ。

ってことで、QJwebの原稿では、そのあたりを書いております。


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