見出し画像

祝14周年 ここから始まった 沼津プロレス

2009年9月10日、キラメッセ沼津で旗揚げされた沼津プロレス

自分がまだ副業としてこの仕事をしていた頃、当時マスクやコスチューム製作を担当していたトウカイブシドー選手(2010年引退)から『先輩(矢口壹琅選手)が新しい団体を立ち上げるので協力していただけませんか?』とのお話が全ての始まりだった。

矢口選手とお会いし打ち合わせをして、

お茶戦士 カテキング

みかん戦士 寿太郎

お魚戦士 ヒラキング


3枚のマスクを作った。

この3枚からその後怒濤のそしてものすごい展開になろうとはこの時は思ってもいなかった。

プロレスで沼津を活性化しよう!というコンセプトから始まった沼プロ。興業はもちろん、地域のイベントやお祭などに積極的に参戦しまさに地域を巻き込んでしっかりと根を這っていった。

各企業、ぐるめ街道振興会、地域の名産名物、建築物....地元のありとあらゆるコンテンツをモチーフにマスク化し、唯一無二の個性的なキャラクターを作り上げていった。

どんなデザインに落としこもうか?

そのモチーフをどう具現化しようか?

どんな手法技法で形にしようか?

天才か!と思うくらいの閃きの時もあれば、まさに産みの苦しみの時もあった。後者の方が大多数であることは間違いない。ただ、そのものスゴい数をクリエイトした事は自分にとってものスゴい経験値と発想の引出しと自信に繋がった。

その“ものスゴい数”をカウントしたことはないが、ちゃんと申請すれば恐らく『イチ団体の中のマスクマン数』としてギネスレコードが取れるのではないだろうかと思っている。せっかくなのでこれは是非やって欲しいものだ。

そして、何よりこの仕事に携わったおかげで元々大好きだった沼津という街に沢山のご縁が出来たことが最高の財産であり感謝しかない。

そんな沼プロも昨今は自主興業もなく、今年においてはこのご時世でイベントも出来ない中で9月10日にひっそりと14周年を迎えた。

長くやっていればその時々で色々な声はあったかもしれない。『こーでなければいけない』『こうすべきだ』ではなく、高橋代表の『無理をせず、必要とされれば』的なスタンス(←筆者の個人的なイメージ)が結果的に沼津プロレスの14周年に繋がったのかもしれない。

沼津在住、もしくは近隣在住の子供たちが生まれて初めて見たプロレス(しかも生で!)が沼津プロレスだったという事も多いだろう。その子供たちがいつか成人して仲間と酒を酌み交わしながら昔話になった時に、

『そー言えば沼津プロレスってあったな!』

『あったあった!なんだっけアレ.....お茶の』

『カテキング!』

『そう!カテキング(*≧∀≦*)!』

『寿太郎とかヒラキングとか!』

『なつかしいー!あの時さぁ...』

そんな感じで思い出話に花が咲き、記憶の中に沢山のマスクマン達の顔が浮かんでくれる。.....作り手としてこんなに幸せなことはない。

きっとそれは高橋代表はじめ、沼プロに関わった全ての皆さんが同じ思いのはず。

沢山の伝説と沢山の思い出を間違いなく沼津の地に刻んできた沼プロ。

いつかはホントの終焉がくるのかもしれないが、終焉を急ぐこともないし、敢えて終焉とすることもない。

ケセラセラでもいいではないか。

沼津プロレスがそこにある。

沼津プロレスオフィシャルサイトhttps://www.numapro.com/

いいなと思ったら応援しよう!