推しが結婚するという夢(エッセイ)
悲しかった。
そこまで好きという自覚はなかったけど、ショックを受けるくらいには好きだったのかと気づく。
推しが結婚すると〇〇ロスという人が出てくるけど、自分はそうはならんやろ、と思っていたのに、悲しいという気持ちが夢なのにしっかりあった。
推しが結婚するという夢ではあるけど、推しが夢に出てきたという嬉しさもある。
そして、夢に出てきたからこれからもっと好きになるという予感もある。
そうなると、実際に推しが結婚したというニュースを聞いてしまった時に本当にショックを受けるのかもしれない。
知らないままの方がずっと幸せでいられる。
見ていないものは見るまで確定しないというシュレーディンガーの猫のことを思う。
推しの結婚発表はして欲しいかどうか。
自分で発表してくれるのはいいと思っている。
隠したままでもいいと思う。
でも誰かが暴くのはどうだろう?
お前が言うなよと暴いた人に思ってしまう。
そこでふと思う。
いや夢で見ただけなのに、悲しんだり、喜んだり、怒ったり、忙しいな!
実際には何も起こってないのに!
起こってないことを想像して、あれこれ考えている。
でもこれは利用できる。
起こってないこと想像する。
その想像を自分に都合のいい、楽しく、面白い想像にする。
無理やりにでも。
想像なんだから、何でもありなのだ。
今日の推しが結婚する夢、から想像してみる。
その推しが結婚する相手が実は自分だった。
そうだったなら、嬉しいし、想像しただけでニヤニヤが止まらない。
想像の方向を変えただけなのに、気持ちも落ち着いている。
想像力、恐るべし。
考え方一つで気持ちが変わるというのはこういうことなんだろうな。
推しが結婚する夢から、想像力の無限の可能性を感じる、そんな朝。
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