嫌いな人(エッセイ)

嫌いな人でも、物語の登場人物にしてしまえば、好きになれるかもしれない。

その人を全て見ているわけではないので何か少しでも嫌い!という面を見てしまうと、そこからはもう受け付けなくなる。

物語の登場人物なら、心情や境遇が分かって、ほんの少しでも共感する部分があるかもしれない。

どういう考えで、どういう行動に至っているかなんて、自分のことでさえ曖昧なことがあるのに、他人のことなんて分かるはずもない。

自分の行動は自分を納得させるために、こう思ったからこういう行動をしている、と無理やりに理由づけはするかもしれない。

でも大抵のことは、何となくやっている。

遺伝子に組み込まれているのか、それまでに経験したことが活きているのかは分からない。

何でそういう考えになるの?

どうしてそんな行動をとるの?

こういう考えでこういう行動をしています、とはっきり言える人は、そうだと決めているだけ。

嫌いな人を物語の登場人物にすると、その人の行動や心情も想像することになる。

その人をどういう人物にするかは自分の想像力にかかっている。

嫌われるための発言、行動を考えることになる。

実際に自分がされて嫌だったことを想像するかもしれない。

そういう時の自分の心情はよく分かる。

では相手の心情は?

国語の問題みたいだ。

それとも道徳の授業かな。

今も道徳の授業あるのかな?

私が道徳の授業について思っていたことは、先生が思う理想の答えを言えば正解なのかな、ということだ。

もう何十年も前のことだし、その時に本当にそう思っていたかは定かではない。

先生ではないので、道徳の授業の指導方法も知らないし、道徳に正解、不正解なんてない気もする。

道徳の授業のことは置いといて。

自分がされて嫌だったことを想像して、他人には同じことをしないでおこうとする人もいれば、自分がこんな目にあったんだから、他人にも同じ目に合わせてやろうとする人もいる。

根本が違うのだ。

想像できないことをやるのが他人だ。

そう考えると、嫌いな人を無理に好きになろうとする必要はない。

あの人嫌いだなぁ、と思うだけで、それ以上掘り下げなくていい。

嫌いだということを誰かに言う必要もない。

数年前に、『嫌われる勇気』という本があったが、私は『嫌いな人を嫌いなままでいる勇気』という本を出したい。

勇気はつけなくてもいいか。

『嫌いな人は嫌いなままでいいんだよ』

すでに似たようなタイトルありそう。

自分がどう思われるかじゃなくて、自分がどう思うか。

なんか嫌いなんだよね。

なんか好きなんだよね。

自分の感情に素直に生きていこう。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?