絵を描く時も、仕事をする時も。じぶんの美徳と修行を見直してみると楽しい。【生活の変化】

2020.4.28.火 #283日目

絵を描くことが常に頭をよぎるので、ようやく絵描き人らしくなってきたのかなぁと思っている京都の絵描きよねはんこと米田です。

今日は、とある漫画家さんと僕の弟の話をしたいと思います。

自分が得意としているペン画に重ね合わせて、白黒で表現される世界を考えていく時間にします。

画像1

最近、
弟が絵に興味を持っているようです。

正式には、漫画に興味を持っているらしいのですが、漫画のプロのYouTubeを見ているそうです。
(*名前は敢えて聴きませんでした)

その中では、鉛筆は濃淡がつけやすくて、絵が上手く見えるのだとか。

現実はペンの白黒を使って描くのが、漫画の世界だと言っていたりしたそうです。

YouTubeの彼は、漫画家として成功した体験やスキルなどを使って、視聴者にできるアドバイスをしているそうです。

実は、僕もシャーペンや鉛筆での絵は、描けるし得意だったりします。
(ペン画が多いので、鉛筆での能力はある程度です)

確かに、濃淡の付け方に関しては、鉛筆で描く方がつけやすくて、いわゆる灰色の世界が描ける魅力的なツールです。

ただ、僕が、どうして白か黒しかできないペン画を選んでいるのかというと、理由があります。

・美徳的に選んでいる
・修行的に選んでいる

という大きく2つです。


一つ目は、美徳的にです。

つまり、グレーや灰の色よりも、白黒で表現することの方がかっこいいと思っているんです。

(間違えても、鉛筆を否定しているわけではなくて、ペンの魅力を語っています)

これに関しては、建築デザイン専攻の出身だから、そういう美徳が身についたのかもしれません。

外殻や骨組は黒、
中身や空間は白。

そんなふうに表すことが多く、それにおいて全体のデザインをする練習に美徳を感じてきたからこそかもしれません。


さて、
もう一つは、修行的にです。

つまり、白黒しかないという制限の上で色を表現する力をつけたいからです。

頭の中で、色を白黒に変換する作業や、白黒で遠近を出す作業をやっているとシンプルに面白いです。

どこが暗くて、
どこが明るいのか。

それを明確にしていかないと、ぼやける絵になることもすごく勉強になる。


そうして、そんな美徳や修行をしてからは、色をつける練習をすることもあります。

脳で変換していた色をつける作業にはとても楽しさを感じます。

白黒という制限を解放したような。

そんな感覚です。

まとめます。

・美徳的に
・修行的に

僕がペンにこだわるところは、その理由が大きい。

皆さんは絵を描きますか?
当然、描かない人もいるでしょう。

だけど、人は、制限をかけると能力を発揮しやすいと言われていますから。

今の自分のルールや制限している環境を少し変えて見て、起こる自分の変化を楽しむ。

そんな日を過ごしてみてはいかがでしょうか。


そして、自分の生活においての美徳や修行を見直して楽しく1日を過ごせることを願います。

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