言語化するのは、やっぱり難しいけど、でも、やらないといけない。

2020.3.22.日 #246日目

こんにちは!
ブログ毎日更新をしていると、
ネタの不足よりも、
「物事を言語化する力をつける」
必要があると感じる米田です。

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僕たちは、コミュニケーション、意思疎通、合意点到達のために、いつも状況の言語化を強いられるという話。

言語化する力をつけるためには、何ができるのかを一緒に考えてくださる方がこの日記を読んでいてくれることを祈ります。


(*あ、そうだ!
初見さんへ説明しておく前提条件として、僕は絵描きとスイミングコーチをしていますが、
いま、兎に角ブログを毎日更新していくという目標もあって、日々この日記スタイルのブログにて試行錯誤しています)


生きていく上では、人との関わりは必ずあるので「言語化をしなければいけない」ことは多々あります。

僕自身もそうですが、
「思いを表現できない苦しみ」
は皆さんも経験ありませんか?

感情的になって、怒鳴ったり、泣いたり、感情を使って相手に暴力的なコミュニケーションを取ってしまうことも多々あった。

怒りや悲しみは、自分に向けては必要だと思います。ただ、大切な人に怒りや悲しみの感情をうまく扱えずにぶつけ、疎遠にしてしまった経験があります。

そう、皆さんもご存知の通り、
「不器用なのでキレてしまう」
「コミュ症なので泣いてしまう」
というのも相手に対して、暴力的なコミュニケーションの計り方ですよね。


でも、ぼくも本当わかるんです。
その「言語化しない暴力的な感情」が。

何を理由にせよ、大切なのは、
相手と自分の妥協点ではない。
「合意点」を見つけるのが大切です。

となると、やっぱり言語化が強いられる。
表現する力も強いられるんですよ。

「苦手な言語化をしないで済むなら…」
と自分の不器用やコミュ症を理由にコミュニケーションを取れない自分を「演じて」相手を傷つけてしまうことを選択してしまうことも生きていれば沢山あります。


まとめます。

ぼくは、偉そうに言語化するノウハウみたいなものは語れません。

ただ、暴力的な感情でのコミュニケーションを取ることには、限界があると知っている。

言語化は、強いられているものではなくて、大切な人と生きていくために必要な後天的スキルだと思うようにすることを提案します!


ぼくが、こう考えているのには、過去に大切な人を傷つけたからかもしれません。

この話を聴いて、
皆さんが、どう思われるか。

僕には、わかることができません。

どうか、次の言語化に一歩勇気が出てくれれば嬉しく思います!


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