わからないことを、わからないと応える必要性【探究心を刺激する言葉を】

2020.4.25.土 #280日目

中身のない人間になってきたんじゃないかなぁと思う日があるけれど、そこで諦めて仕舞えば終わるので、やっぱ諦められませんよね。

こんばんは、米田です。

ただ、はっきりと言えるのは、
「わからない」とわからないことに対して言葉にできるかは精神衛生上とても大切だなぁと思います。

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それは、諦めるのではなくて、
わからないと認識しているということ。

よく、授業やレッスンの後に、
「わかりましたか?」
と、相手の理解を決めつけてしまう気持ちになります。

物事を理解するということは、とても簡単に聞こえて、しかしながら難しいことです。


僕自身、講師から名指しで、「米田くん、わかりましたか?」と聞かれたことがあります。

その話を少しします。


「なんとなくはわかりました」
と答えたところ、こう言われました。

「失礼だよ。それ。こんなにもわかりやすく説明しているのに」

と。

ぼくは、これに対して、
「説明できるかどうかわかりません」
と応えました。

その後まだその講師には、嫌な言い方をされたので、二度と彼の講義には参加しないと心に決めました。

なんだか、彼の愚痴っぽくなってしまいしたね。ごめんなさい。


さて。気を取り直して。

そんなこんながあって、尚更考えたのですが。

「理解した。」

というのは、それだけで個人差があるからこういう問題が起きるんです。

僕の場合は、説明できるかどうかを基準にして「わかった」と言います。

しかし、彼の場合は、聴いたことの概要を掴めたかどうかを基準にして「わかったか」と言ったのです。

ぼくは、説明できるようになることを 「理解した」と捉えるように心がけています。

(*ただでさえ、わかった気になっていて落第することが多々あるから)


まとめていきましょう。

ぼくは、スイミングコーチをしていたり、絵描きをしていたりする上でこういう記事を書くと決めています。

だからこそ
「わかった」の意味と、
「知ってる」の意味を、
掛け違いにしたくないと思うようになりました。


わからないことは、出来る限り、
「わからない」と応えるようにする。

知っていることに関しては、
「知ってるけど、よくわからない」と応えるようにしたい。

そうして、沢山の話を聴きながら、、自分にとって大切なことを身につけていきたいと思うのです。


実際に、人に伝える際には、
相手に理解を求めるよりも、
知ってもらって、探求してもらう心を持ってもらう言い方をするようにこれからもしていきたい。

過去の日記も、最後に、あなたはどうですか?と問いかけたりしていることが多々ある。

記事を読んだ方が、好奇心を持ったり、興味を持って探求するように。

そうできるように、今後も歩みを進めて参ります。

今日は、どんなことを知りましたか?

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