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阿賀北ノベルジャム2022参戦記#30「結末」

 まだ私は悪い夢を見ているようだった。上辺では笑っているけど、内心、突きつけられた私の限界にすっかり狼狽えていた。やってもやってもダメなのだ。それが私の限界なのだ。

 それでもいいかな、と思うのがチームメイトのグランプリ受賞だった。良かった、と思った。救いだった。

 ところが、その祝宴気分に、水が浴びせられた。

 ええっ。

 まさか。

 そして、なぜそうなのかわかった。

 そう。私の見ていた私たちのチームなんてものはそもそも初めから存在してなかった。私のただの誤認だった。

 それを知ったのは宿に着いた時だった。
 知った時、悪い夢なら覚めてくれ。そう思ったが、それが現実だった。

 そう。私の阿賀北への参加はなんの成果もなかった。あると思っていたのは全て幻だったのだ。

 チームプレイなんてものはなかった。ただの打算しかなかったのだ。

 悲しかったけど、それが現実だった。

 来なかった編集、そして最後の独善で、最初から最後まで我々のチームはチームではなかった。

 そして私のやったことは悉く何も意味がなかった。

 気づけば深夜になっていた。夕食食べるのも忘れていた。食べないと帰還できない。帰還なんかしなくていい、とも思ったが、かろうじて牛丼を喉に流し込んだ。それはロウソクのような味しかしなかった。それでも飲み込んだ。

 そして眠った。次の日、新潟滞在の最終日、私のこの惨状を察した新潟のオタ友が新津鉄道博物館に誘ってくれたのだった。彼は夕方から仕事なのに。なんという人徳だろう。

 夜、眠ったがよく眠れなかった。シャワーを浴びて着替え、宿をチェックアウトして朝食を流し込んだ。卵かけご飯もまたロウソクのような味しかしない。

 新津でしばし鉄道趣味を楽しむ、はずだった。オタ友のありがたさに応えるので私は正直、必死だった。それでも時折愚痴をこぼしてしまう私がとてつもなく嫌だった。

 そして仕事に行くオタ友と解散し、新津駅から列車に乗った。乗ってる間、眠気で何度も記憶が飛んだ。新潟駅について預けた荷物を回収し、喫茶で時間を潰した。

 そこで、ケータイで知ったディスコードで今回の参戦チームの解散が決まった。結果発表、表彰から一晩明けて他のチームはそれぞれ終わった充実感と次への期待の話をしていたが、我々のチームにはそれは全くなかった。もともとチームでなくても良かった、というのだから仕方がない。もう何を言っても全く無駄だ。それなのにそれに抵抗しようとバカな提案を最後にした私を私は締め殺したかった。やったことはまたしても全くの無駄だった。

 新幹線の時刻になった。ショックで座る席を間違えた。敗走とはこういうことなのだな、と思った。まさに惨めな足取りの重い帰り道だった。

また記憶が飛んだ。眠いというより病的に記憶が飛ぶ。帰り道の新幹線で撮れた写真はこの越後湯沢の一枚だけだった。高速バスでなかったから倒れずに済んだ。この時、えきねっと35%割の新幹線に命を救われた。

薄々予感してたのか、帰りのロマンスカーの切符も買ってあった。乗って帰宅する。途中朝買ったおにぎりを食べた。これもロウソク味だった。せっかくの筋子おにぎり、美味しく食べねば申し訳ないのだが、無理だった。

でも何度も病的とはいえ眠れたのだろう。意識の混濁がおさまってきた。

帰ろう。

そうすれば、また来られる。

このかつての旧海軍の提督の言葉が浮かんだ。

そう、この悲惨な帰り道は、まさに過酷な撤退戦となった。

それでも帰路の最後のバスに乗ることができた。記憶はなおも次々と飛び平衡感覚はなく、コンコースを歩む私の姿は側から見れば幽鬼のように見えていたのではないかと思う。それでも帰還を目指す。荷物も足も重い。

でも、チームがグランプリを取って崩壊したことがつらかった。だけど、それを塗り固めて祝福できるほど、私に人徳はないし、お人好しにもなれなかった。とはいえ全て私が蒔いた種なのだ。

ようやく帰宅したら、納本したチームの本が国会図書館に収蔵されたという通知が国会図書館から届いていた。

納本の時はこうなるとは知るよしもなかった。

どっしりと疲れがきた。

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