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「社会の構造と米原の幸福」

2021.11.1.Facebookの投稿より

僕は元々編集者だ。今でもそう思っている。それも雑誌の。それは1980年代から始まった。出版業界がもっとも光り輝いていた時代と言ってもいい。今では誰も信じられないかもしれないけど、そのころの編集部とは営業部と戦うものであった。営業部が持ってくるタイアップ企画を「そんなもんうちの編集とは合わないよ」ってクライアントの名前見ただけで企画書もろくに見もせす断っていた。そんな編集者がゴロゴロいた。
僕にとっての編集という作業は、世の中に知られていない情報を自らの手で見つけ出したり、みんなが知ってる情報でも違う見方をすればもっと面白いってことを読者に提供する作業である。だから最初から最後までお膳立てされたタイアップページなんか、って言葉は過激だな、スポンサーの都合で事実をねじ曲げられたページなど死んでも作りたく無いって(ってさらに過激になった)思っていたし今も思っている。
そんな雑誌が変わったのはいつの頃だろう?
「うちはメジャー誌なんだからカルチャーなんかいりません」とカルチャーで時代を築いたはずの出版社の編集長に吐き捨てられたことがある。2000年代初頭のことだ。カルチャーをいっさい捨て世の中で受けてる情報だけを網羅する。
ひとつの雑誌がヒットすると他の出版社だけでなく、同じ出版社さえ同じような雑誌を出版し始めた。その結果書店やコンビニに並ぶのは同じような表紙やページの出版物ばかりになった。
なんか出版業界の存続の危機がネットのせいみたいに言われてたけど、実はネット以前に編集作業を忘れ営業ばかりに奔放してタイアップページを乱打する編集方針がそのせいだと本当は早い時期に気づくべきだったのだ、っていまだに気づいてない出版業界の人多いけど。
瞬時で情報を提供できるネットという存在が現れた時、1週間や1ヶ月というスパンでしか情報を提供できない雑誌は同じ土壌での戦いをやめるべきであった。本来雑誌が持っていた編集(世の中に知られていない情報を自らの手で見つけ出したり、みんなが知ってる情報でも違う見方をすればもっと面白いってことを読者に提供する)という作業を取り戻すべきだったのだ。
ところが出版社の多くはネットではできない何かを探すのではなく、ネットから漏れた何かを救うのでもなく、ただただネットの劣化版になる道を選んだ。
そんなものダメになって当然だ。
って長い前説から何を言いたかっていうと
そんな今、最近の「NUMERO TOKYO」が面白い。
今回の表紙のモデルが西村碧莉(あおり)。プロのスケーター。
そして特集がストリートカルチャー。
これこそ編集という作業。
むずかしぶってビジュアルは全く世の中と関係なく自己満をくりかえず文章も誰も読まないカルチャー誌はあるけど、こんなどストレートなそれが今存在するのだ。
雑誌とは消費のメディアではなく創造のメディアなのである。
編集長田中杏子氏にスペシャル感謝❗️
あっ、これ僕の見解で杏子のそれじゃ無いので、そこんとこ注意。


そんな米原キュレーションの次の展覧会はこちら
「属性/魔性」11/5より
今日搬入終えた作品群見てびっくりしました。必見。

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11/12からは野島渓個展
中目黒MDP

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渋谷MIYASHITA PARK OR

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二か所同時開催です!

これもヤバいに違いない。

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