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BEASTスポンサーへの道①【序】

ABEMASサポーターをクビになった

    僕がМリーグで最初にサポーターになったのは、EX風林火山だった。初年度のМリーガーで唯一、同卓したことがある滝沢和典プロが在籍していたからだ。翌年、推しの日向藍子プロが渋谷ABEMASに加入したことを契機に、ABEMASサポーターに転身した。
    その2年後、滝沢プロがKONAMI麻雀格闘倶楽部に電撃移籍した年に、ABEMASに加え、格闘倶楽部のサポーターを1年間だけ兼任した。
    そして、渋谷ABEMASが悲願の初優勝を果たしたオフシーズン、Мリーグ機構から、サポーター契約更新特典のカレンダーが届かなかった。クレジットカードの期限切れに気付かなかった失態と引き換えに、僕はABEMASサポーターたる資格を失ったのだった。

『Mahjong Cafe Noah』

    僕は群馬県の東部、利根川を挟んで埼玉県熊谷市との県境にある、大泉町という人口4万人の小さな町に住んでいる。外国人比率が20%を超え、中でも日系ブラジル人が全体人口の11%もおり、一部のマスコミからは『リトルブラジル』と称されている。その大泉町に奇跡とも言える雀荘が、かつて存在していた。
  その名も『Mahjong Cafe Noah』✧⁠◝⁠(⁠⁰⁠▿⁠⁰⁠)⁠◜⁠✧

Mahjong Cafe Noahで滝沢プロと対局する筆者

 日本プロ麻雀連盟の若手プロ、塚越裕次郎プロ(元)、齋藤豪プロ、小谷美和子プロ(元)の3名が、群馬の片田舎である僕の故郷に、夢の様な雀荘をオープンしてくれた。その後、連盟の北関東支部長の吉田幸雄プロが加わり、連盟プロ4名が在籍する店・・を売りとして営業を続けた。今から10年以上前のことである。

 Mahjong Cafe Noahは、カフェをコンセプトとした雀荘らしからぬオシャレな内外装が施されたお店だった。滝沢和典プロ、山脇千文美プロらを店の周年記念麻雀大会のゲストに呼び、顧客サービスに努めた。また、麻雀最強戦の予選会場としても店舗を提供した。予選の受付には山脇プロや石田亜沙己プロも駆けつけ、会場に華を添えてくれた。麻雀を打たなくても、コーヒーだけでも気軽に飲みに来れる憩いの場を提供し、延いては麻雀人口の増加に繋げる。そんなコンセプトを持つ雀荘づくりを、若きプロ達は目指していた。  しかし現実は厳しかった。地方の人口の少なさは致命的で、それは麻雀人口にも比例していた。顧客の絶対数が少ない場所で、困難な雀荘経営を強いられたのである。

    まずは齋藤豪プロが、東京へ活動場所を変えた。続いて吉田幸雄プロが抜けて、前橋で自らの雀荘をオープンした。そして最後に、塚越裕次郎プロ、小谷美和子プロが麻雀プロとしての活動に終止符を打つのと同時に、塚越プロが絶対的な信頼を置いていた、同じ北関東支部の高橋信夫プロに、Mahjong Cafe Noahの経営権を譲渡した。  残念ながらそれも束の間、2018年の秋、Mahjong Cafe Noahはその幕を閉じることを余儀なくされた。奇しくもМリーグが誕生した年だった。

  塚越プロのイケメンで人懐っこく、野心に満ちた目が眩しかった。斎藤プロのこちらが照れるような接客と、優しい声が好きだった。モンド女流新人戦に選抜されるほどの実力とルックスを持った小谷プロには、とうとう最後まで勝てなかった。
   有名プロをゲストに呼び、最強戦の予選も開催される自宅から僅か10分で遊びに行ける、僕にとっての夢の雀荘は今はもう無い。。しかし、連盟の若手プロ達が高い志を持って立ち上げたMahjong Cafe Noahの存在は、生涯忘れない。忘れ得ない。この3人の若手プロ達に対する感謝の気持ちは、今までずっと心に秘めていたが、この場を得て初めて言葉にする気持ちになった。

懐かしのスタンプカード

BEAST襲来❗️

    時は戻って2023年、ABEMASのサポーターをクビになることを予期する由もなく、優勝記念に発売された、ABEMASのLEDライト付きのアクリルプレートや、選手のボイス入りの目覚まし時計を買って悦に入っていた僕に、新たな心躍るニュースがプレスリリースされた。
   Мリーグ9番目のチーム、BEAST Japanextの翌シーズンからの参入である。
    
                                                                      to be continued.
 


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